空襲の子【34】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 楠見三兄弟の死(上)

 因島空襲により日立造船因島工場で亡くなった楠見高行さんの遺族である楠見啓二さんの三庄町のご自宅をようやく訪ねることができた。遅れたのはすべてわたしのためらいのせいである。すでにご親族や関係者を通じて啓二さんのことを知っており、取材を勧められていたのだ。ご遺族は昨年の8月ころからすでに、筆者が来訪するだろうということをご存知だったという。


 このためらいを乗り越えるために8カ月もの時間を要した。その正体は何か。他人でしかない自分にご遺族にお会いする資格があるのか、その一点に尽きた。その迷いはご遺族に実際に対面することで晴らすことができた。やさしく迎えていただき、想いを語って聞かせてくれた。
 仏壇のある応接間に通されたとき、並んで掲げられた遺影に目がいった。亡き楠見高行さんを見当をつけて捜した。しかし、左隣りのふたりは誰だろうと、ふと思った。その時、「ふたりは叔父です。4人兄弟のうち3人が亡くなりました」と、楠見啓二さんの声がした。わたしはすっかり狼狽してしまった。予期しないお話にうろたえてしまったのだ。
 叔父・松之丞さん(3男)は、弓削商船出身。日本郵船(株)所有の陸軍御用船・香取丸=写真=の3等機関士。太平洋戦争開戦まもない昭和16年12月23日、ボルネオ・クチン沖上陸作戦遂行中、兵員などを乗せた香取丸=写真=が魚雷攻撃を受けて戦死。享年27歳。戦死により2階級昇進。
香取丸
 父・高行さん(長男)。昭和20年7月28日、米軍の日立造船因島工場への空爆により死亡。叔父・儀市さん(4男)は弓削商船出身の船員。乗船していた船が米軍に撃沈され死亡。昭和20年6月29日、山口県周防灘での出来事であった。享年27歳。
 1週間後、2度目の取材で楠見家を訪ねた。応接間の机の上には、「日本郵船戦時船史・上巻」が置かれてあった。その序には、「わが社が失った乗組員の数は、四千百四十三人の多数にのぼる。これは大戦中に失った社船百八十一隻の大損害にまして、私たちには痛恨の哀しみであった」と記されてあった。その「昭和16年―香取丸」には、松之丞さん戦死の知らせを伝えに社員の佃慶三郎が三庄町を訪れた様子が詳しく描かれている。少し長くなるが引用したい。
 ―神戸の在勤海務監督である佃は、先に戦死した楠見松之丞の留巣宅を見舞うため、神戸から広島県の三庄町を訪ねて来たのだ。三庄町は尾道から小さい連絡船に乗って小一時間もかかる瀬戸内海の離れ島にある。一月の冷たい風の吹き込む船室にうずくまりながら、佃は何度もこれから自分が見舞わねばならぬ楠見家の遺族に対する口上の事をあれこれと考えていた。(中略)
 だが、通された座敷で、本人の母から「実は今月十八日の午後九時半ごろ、三庄町の町長から松之丞が昨年十二月二十四日、軍に協力中生死不明となったと内報を受けておりましたので」とむしろ毅然とした態度で挨拶されて、内心ほっとした。
 だが楠見家ではその知らせがあった時ちょうど本人の妻が出産寸前であったので、家族とも相談して妻だけには知らせなかったそうである。妻は知らせのあった翌十九日午前三時ごろ無事男児を出産した。母子とも健康であった。

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