英軍捕虜は何を見たか【5】第一章 証言者

テレンス・ケリー氏は、自著「日本人と暮す」を英国人だけではなく日本人が読むことを期待していたようだ。

今年の6月、因島図書館にケリー氏の著書が、愛知県春日井市の市野美子さんによって寄贈された。私の全く予期しなかったことだ。その夜、宿舎に彼女を訪ね、事情を訊いた。

市野さん夫妻は2003年秋、パリのセーヌ川クルーズでケリー氏夫妻と知り合い、本を贈られた。それから十年以上を経て仕事で因島に寄る機会を得た市野さんは、その本があるに最もふさわしい場所と思った図書館に届けたのである。

私がケリー氏の「日本人と暮す」を知ったのは、十数年前のテレビのドキュメンタリー番組によってである。それは大戦下の日本国内の捕虜収容所などを特集したもので、因島のシーンにかなりの時間を割いていた。その中でケリー氏は手に自著を持ち、それを示しながらインタビューに応じていた。

私が実際にケリー氏の著書を手にしたのは、2年前のことである。因島中庄町在住の方が持ってきてくれたのである。そのことがきっかけとなり、捕虜収容所問題に関わっている人たちに尋ねると皆が知っていた。しかし、翻訳されていないこともあって、誰も読んでいないようだった。

目次を見ただけで、その著作が戦時下の因島を描いていることが分った。とりわけ、「因島空襲」と題する十二章にくぎ付けとなった。受験英語の語学力しかない私であったが、空襲調査の経験からして、ケリー氏が何を書いているか、おおざっぱではあるが理解できた。

なかでも、7月28日空襲の被害についての記述は、英和辞典の支援で容易に訳すことができた。

死傷者に関するかぎりでは、(160人の死者を含めて)400人。そのなかに、捕虜はひとりもいない。労働力の5パーセントを占めていたことを考慮すれば、注目に値する。

次の描写も発見した。七・二八空襲の三庄町の場面である。専門家の助言で次のように訳した。

家の中にいた、ひとりの女性とふたりの子供が死んだ。そして壊れた家の再建を助けるために、捕虜収容所の中で募金が行なわれた。

私は何としてもケリー氏の著作を翻訳したいと思った。なかでも十二章「因島空襲」の翻訳だけは私に与えられた使命だと痛感した。語学力の水準など問題ではない、使命感さえあればどうにかなる。こうして私は、英国の作家の著作を翻訳するという無謀な挑戦に突進することになった。しかし、無惨にも跳ね返されるのには数週間も要しなかった。ギブアップである。

ところが再起のチャンスがそれから4カ月後に訪れたのである。私は昨年の4月15日、向島町で開催された、米英捕虜追悼碑新設除幕式の会場にいた。参加者には、日本人以外にも在大阪英国総領事や米海兵隊岩国航空基地司令官などの米英関係者もいて、日本人の挨拶には英訳する複数の女性通訳がついていた。

私は、そのなかのひとりの通訳スピーチに魅せられてしまった。式典が終了するやケリー氏の著作を手にしてその人のもとに駆け寄った。その人は東京在住だと言った。私の英訳の添削をしてくれることになった。

それからおよそ一カ月、最高レベルの添削を受けながら翻訳は進み、完成した。当然のことだが、その過程は苦しみの連続であった。すべての作業が終った時、添削者は「おめでとう」と言ってくれた。

(青木忠)

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