芸予に残る被爆犠牲者の足跡【1】

大戦が終わって70年が経とうとしている。弓削商船高等専門学校学芸部の「海事史研究 第31号」(2006年3月発行)=写真=に掲載された、商船学科の3人の学生による「芸予に残る被爆犠牲者の足跡」を、同校の了解を得て転載する。

終戦70周年記念特集 弓削商船高等専門学校学芸部の調査・研究

芸予に残る被爆犠牲者の足跡【1】

商船学科 濱本桂太(4年)、森光勇介(4年)、滝川鉄也(3年)

はじめに

平成17年度四国地区総合文化祭(新居浜高専主管)への作品出典のため、いろいろ検討した結果、今回は戦後60年を記念して、地元上島町に残る広島での被爆犠牲者の足跡を取り上げてみた。

広島で被爆し、地元上島町弓削太田にある自宅まで友人が連れて帰り、その後被爆が原因で亡くなった松下秀一郎さんのことを、商船学科松下邦幸先生、多田光男先生のアドバイスを得て、調べてみることにした。

そして、現地に残るお墓の調査や関係者への聞き取り調査などを行い、松下秀一郎さんの被爆後の足跡をいくつかのエピソードと共にまとめることができた。

指導していただいた先生方や、いろいろ貴重なお話を聞かせていただいた麓忠義さん(因島市大浜町)、赤尾四郎さん(因島市土生町)、木下良一さん(上島町弓削太田)などに対し、感謝の意を込めて、ここに報告しておきたい。

松下秀一郎さんの調査のきっかけとお墓の調査

広島原爆の被爆犠牲者である松下秀一郎さんのことを調査してみようとしたきっかけは次のとおりである。

弓削商船高専で毎年開講されている公開講座の一つに「弓削丸洋上講座」があるが、その洋上講座受講生の一人(因島大浜の麓忠義さん)から当時弓削丸の機関長をされていた松下先生の方に次のような話があった。

「機関長さんは松下さんとお聞きしましたが、弓削には松下という姓が多いのですか。自分の知り合いにも松下という姓の方がいました。自分は昔、広島修道中学に行っていた頃、松下秀一郎という一年後輩で弓削から来ていた人がいましたが、ちょうど広島原爆に遭い、ここにおいていてはいけないと思い、弓削まで連れて行き、親御さんに引渡しました…。」

偶然にも松下秀一郎さんは松下邦幸先生の従兄弟であり、その話を覚えていた松下先生から学芸部の方に話があり、興味を持った我々はそのことについて一度麓さんにお話を聞かせてもらい、詳しく調べてみることにした。

そこでまず、松下秀一郎さんのお墓を調べてみることにした。松下秀一郎さんのお墓は、現在の弓削商船高専の正門から徒歩二分ほどの距離にある小高い山の中腹にある潮音寺の墓地の中に置かれている。正面には「松下家之墓」とあり、左側面に次のように書かれていた。

好学全秀居士 秀一郎
昭和二十年八月二十三日
十四才

広島原爆の投下が8月6日のことであるから、当日に被爆して2週間あまりで亡くなられたことが分かる。

(つづく)

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