空襲の子【31】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 小丸正人さんに捧ぐ(完)

 故小丸正人さんは、コミヱさんとの間に二人の子どもを遺した。次女の祥子さんは、筆者と世代としては比較的近い。そこでご夫妻に家庭内で子どもさんやお孫さんに、父・正人さんの死をどのように伝えているのか、お尋ねした。これは筆者にとって最も興味あるテーマであり、難しい課題である。なかなか娘、息子には話しにくい。


 「継承」や「語り継ぐ」という言葉が氾濫し、決まり文句になっている。戦争体験の継承とは、犠牲者の残した生を身代わりになって生きること。「戦争を語り継ぐ」ことは、犠牲者の生と死を具体的に知ることから始まる。とりわけ、家族として家族の悲劇を語りつづけていくことがその核をなす。
 こうした営みを、米軍の空襲で多くの犠牲者を出しながら住民としての慰霊祭をなしえなかったこの因島においてこそ、真剣に追求したい。62年間の空白は確かに重い。しかしまだ間に合うはずだ。わずか62年しか経っていないとも言えるではないか。
 村上祥子さん夫妻には1男2女がいる。長女が大阪、長男が地元重井町、次女が四国に住んでいる。3人とも祖父の空襲による死は親に告げられ知っている。小さいときから彼岸、盆には家族そろっての墓参りである。しかし両親は、特に空襲による死を強調したことはないと語る。
 ところが孫に対してはまったく違った。2年前に孫の男3人兄弟が里帰りした時のことだった。3歳と6歳の喧嘩が始まった。幼い男兄弟の喧嘩は半端ではない。「おばあちゃんのお父さんは空襲で死んだんよ。喧嘩は戦争につながるんよ。だからきらい」と叫び声が飛んだ。争いは瞬時に止まった。
 それから2年後、3歳、5歳、8歳だ。喧嘩の始まりだ。末っ子も負けてはいない。思わずにらみつける祥子さん。5歳の子はお婆ちゃんの顔を見つめて言った。「喧嘩は戦争の始まりなんよね」と。2年前のことを覚えていたのだ。「孫はすごい」と祥子さん。
 その一言が子どもたちの心の芯に根付くなら、曾祖父の生と死は家族のなかにきっと継承され、その絆をいっそう強めていく力となるのだろう。そのような家族でありたいものだ。
 筆者には孫はいないが、子どもたちが生きて行くこれからの時代の流れが気にかかるようになった。子どもを産み育ててきたものの、可能性のある時代を創りあげてくることに成功したかと問われると、恥ずかしい限りだ。いやそればかりか、時代がどちらに向いているか子どもたちに明言することさえ憚るようになってしまっている。
 親に反抗し親の人生の現実に、つかみ掛けた自らの生き方の理想を対置することで、青春の証にしようとしたことなどまるで忘れたかのような日々である。せめて子どもたちの投げかける疑問から逃げ出さない親でありたい。
 インターネット版「タイムズ」を通じて、連載「空襲の子」の内容を村上夫妻の一番上の娘さんに読んでいただけたそうだ。遺族のお話を取材した通りにお伝えすることに徹することにしている。家族内での新しい会話の広がりに役立てば幸いである。小丸、村上両家あげての取材協力、写真提供に心から感謝したい。

幼き日の由紀子さん(右)と祥子さん(左)

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