村上水軍の「軍楽」の研究【21】第二章「軍楽」史の考察

第五節「軍楽」史の考察

本節ではここまで見てきた史料を基に「軍楽」史について考察する。

まず、平安時代までの「軍楽」は中国の鼓吹の影響が強かった。使用されていた音具は「鼓」「金」「大角」「小角」で、儀礼の場でも用いられた。


また、これらの音具は他の武器と同じように扱われていた。律令制の確立後は鼓吹司という役職が置かれることとなる。そしてここでも、これらの音具は楽鼓と区別されている。つまり「軍楽」に使用されていた音具は、楽器とは区別されていたと考えられる。

平安時代までの記述によると、戦中における音具の使用の目的は、開戦の合図や兵士の鼓舞が主のようで、細かい合図についての記述は見られない。また、この時代の記述の中で船においても音具を使用していたと思われるものが見られる。

鎌倉時代~安土桃山時代は、開戦の合図のためや兵士を鼓舞するという目的の他に凱旋のために音具を使用したことが解る。特に鐘が、戦を知らせる合図として多く使用され、兵士を鼓舞する時や凱旋の時には太鼓を使用している。『本朝軍器考』で新井は、貝と太鼓を同時に使用するのは、礪波山の戦いが始めだとしているが、今回第二章第二節で扱った史料には、貝についての記述が見られなかった。また、『太平記』の「矢間ノ板ヲ鳴シ」という記述から、音具を使用するだけでなく、戦の中で故意に音を出すこともあったのではないだろうか。

絵図史料を見てみると、太鼓は大型であったことが解る。太鼓には装飾がされており、色は赤で派手なものであった。撥は二本で先が球形になっている。絵図では三名で太鼓を扱っており、そのうち二名がかつぐことで移動して打つことも出来た。太鼓を扱う人物が軽装であるのはこのためだろうと思われる。このことから、陸戦において太鼓は一つの陣に一張りといった程度の数しか置かれていなかったのではないだろうか。

この時代の史料には船戦で音具を使用したと思われる記述もあるが、その数等の詳細は書かれていなかった。

江戸時代以降の史料には貝と太鼓について多く書かれており、逆に金についての記述は見られなくなる。

神戸大学国際文化学研究科 山本詩乃

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