村上水軍の「軍楽」の研究【15】第二章「軍楽」史の考察

『太平記』(後藤 一九八四年(一)一五四、(二)一七五、一七八、一八六―一八七、(三)二一五)

  • 海上ノ船共帆ヲ下シテ礒近ク漕寄スレバ、陸路ノ勢モ旗ヲ進メテ相近ニゾ成ニケル。両陣互ニ攻寄テ、先沖ノ舟ヨリ大鼓ヲ鳴シ、時ノ声ヲ揚レバ、陸路ノ溺手五十万騎、謂取テ声ゾ合セケル。」『太平記』巻第十六 兵庫海陸寄手事
  • 西坂ニ軍始リヌト覚ヘテ、時声山ニ響テ聞ヘケレバ、志賀・唐崎ノ寄手十万余騎、東坂本ノ西穴生ノ前ヘ押寄テ、時声ヲゾ揚タリケル」『太平記』巻第十七 山攻事付日吉神託事
  • 爰ニ何者カ爲タリケン、大講堂ノ鐘ヲ鳴シテ、事ノ急ヲ告タリケル間、篠ノ峯ヲ堅メントテ、昨日横川ヘ被向タリケル宇都宮五百余騎、鞭ニ鐙ヲ(月)テ西谷口ヘ馳来ル。」『太平記』巻第十七 山攻事付日吉神託事
  • 三方ノ寄手八十万騎相近付テ時ヲ作リケレバ、城中ノ勢六万余騎、矢間ノ板ヲ鳴シ、舷ヲ敲テ時声ヲ合ス。」『太平記』巻第十七 山攻事付日吉神託事
    山門ニハ西坂ニ軍アラバ、本院ノ鐘ヲツキ、東坂本ニ合戦アラバ、生源寺ノ鐘ヲ鳴スベシト方々ノ約束ヲ定タリケル。」『太平記』巻第十七 山攻事付日吉神託事
  • 其夜ハ塩津ニ腰輿ヲ舁留奉リテ、供奉ノ人々ヲモ些休メ奉ラントセラレケルヲ、塩津、海津ノ地下人共、軍勢此ニ一夜モ逗留セバ、事ニ触テ煩アルベシト思ヒケル間、此道ノ辻、彼ノ岡山ニ取上テ、鐘ヲ鳴シ時ヲ作リケル程ニ、暫ノ御逗留叶ハデ、主上又瑶輿ニ召レタレ共」『太平記』巻第三十二 主上義詮没落事付佐々木秀綱討死事

以上の記述から、船戦でも太鼓が使用されていたこと、兵士が上げる掛け声を時ノ声(時声)と呼んでいたことが解る。また、この頃になると鐘が多く登場するようになる。
「矢間(狭間のことだと思われる。矢や鉄砲等を撃つためにあけられた小窓)ノ板ヲ鳴シ」とあるように、音具だけでなく、何かを叩いて声を上げる、ということもあった。このことから、戦において故意的に音を出すということが重要な要素であったのではないだろうか。

(つづく)

神戸大学国際文化学研究科 山本詩乃

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