探した回った本因坊秀策画像

平成の市町村統廃合合併の置き土産の一つに旧因島市外浦町出身の本因坊秀策囲碁記念館建設があげられる。囲碁界では「碁聖」と後世仰がれるがお城碁(将軍御前試合)に出仕、19連勝中34歳にして倒れるという前代未聞の記録を残していることでは有名。

ところが、広島・三原浅野藩の庇護を受けていたから小童のころから武家並みの扶持(給与)をもらっての江戸・本因坊家での修業で頭角を表わした。その才能を見込んで浅野家に懇願して本因坊家14世跡目として迎えられた。

秀策先生は跡目のまま亡くなった。本因坊位に就いていないのに本因坊の”冠”をつけ、さらには”碁聖”の名をつけられても異論が出てこない不思議な人柄である。

かつて「碁聖本因坊秀策」を出版された樫本清人先生と秀策画像を探したが見つからず困ったあげく昭和43年11月1日から東急デパート日本橋店で開催された日本棋院、毎日新聞社、東京デパート共催の「日本囲碁史」展で公開されたことを知り転載許可を得た。

還暦を機に因島出身の天才棋士、桒原虎次郎のちの本因坊秀策の伝記を小説にして因島のPRの一助になればと尾道図書館長だった故樫本清人先生の弟子入りをして30年以上になる。因島ライオンズクラブの故森本哲二さんや第一工房の加藤さんらが外浦町の秀策生家跡に「碁聖閣(仮称)」建設を思いたった。

当時、樫本先生は日本棋院の雑誌「棋道」に連載中で因島外浦町の秀策が書き送った生家の文書を調査するため向島津部田―因島大浜フェリーを利用されていた。大浜から外浦まで生家の因島石切神社がお迎えに上るわけ。この間約20分が勉強になった。

話をもとにもどそう。なぜ、秀策像が少ないのか。秀策が浅野藩お抱えの棋士であり本因坊家には幼いころから世話になった浅野家や備後尾道をはじめ福山藩などにご恩返しをすることもなく本因坊家の跡目になったことへのわだかまりがあったのが一因。なによりも度重なる江戸の大火、地震などで焼失、幕末の世情もあると樫本翁はつぶやかれていた。

(村上幹郎)

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