因島の戦争遺跡を探索 攻撃機襲来を察知する 中庄町の防空監視哨跡

私は数年前から、第二次大戦下の因島は、日立造船という巨大な軍需工場を中心に、島を挙げた臨戦態勢が敷かれていたはずだと考えていた。そうしたなかで因島北部がどのような役割を果たしていたか、強い関心を持っていた。

今年の8月、中庄町在住の村上守孝さん(80)から中庄町の山に空襲を監視する防空監視哨があったことを教えられた。「気候が涼しくなってから」ということで29日、その山に案内して頂いた=写真下。


監視哨跡地をたんねんに探す

本土空襲に備えて

防空監視哨は大戦末期、本土空襲に備えて各地に設置された。見張り小屋のようなもので、なかに人が入り、目視で敵機の襲来をつかむのである。

その情報を得て防空飛行隊や高射砲隊は迎撃の準備を完成させる。また住民への警報が発せられる。
因島土生町の江の内地区にも監視哨があったという記録がある。日立造船因島工場に学徒動員された尾道商業の常盤正和さんは、「私達はこのような時、江の内の見張り所へ監視に行くよう指示されておりました」と記している。

このような時とは、警戒警報や空襲警報が出た時のことで、見張り所とは監視哨のことであろう。

因島空襲は、村上さんが中庄小学校高等科一年の時である。今の中学一年の年頃である。二年生は田熊町の占部造船(後の内海造船)に行き、村上さんたちは出征兵士の留守宅の農作業などに動員された。

村上さんは、自宅から空襲を目撃した。数機の艦載機グラマンが、鳥が糞をするが如く爆弾を投下した。「これが日立造船に落ちるのだ」と思ったという。

戦後しばらくして村上さんたちは、監視哨を解体し資材を里に持って降りる作業をした。それは、酪農家の牛乳加工場を建てることに活用された。

その監視哨は木造で、数人が寝泊まりできる、しっかりした建物であったという。また戦後、山頂の監視哨が下から見えたという。

360度の視界

防空監視哨があった山は長福寺=写真=の裏手になる。そのすそ野には高いところまで墓所が広がっている。車で行けるところまで行き、あとは細い山道を頂上に向かった。監視哨のあった山頂はもともと畑で、かなり広い平面であった。

村上さんの話だと、現在は木が茂って見えないが、実に視界のよいところで、360度周りが見えて、よく晴れた日には、岡山や呉も望めたという。

山頂に監視哨の建物の痕跡が残っていないか、しばらく探索した。村上さんがコンクリート片を積み上げた、数メートルの長さの石垣に似たものを発見した。それは、戦後かなり時間を経て、山頂の土が崩れないようにするために作られたものではないか。

そのコンクリート片は、状況から判断して、木造の監視哨の建物のベースを適当な長さに砕いたもののように見えた。

(青木忠)

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