弓削島に因島空襲探る 町誌に犠牲者名を記す 継続する慰霊の営み

愛媛県上島町における因島空襲の調査が進み、新しい事実が確認されている。昨年秋の生名島につづき弓削島で聞き取り作業が開始された。

私は先月、弓削島の方から案内を受けて、学徒動員され日立造船因島工場で働いていた土生高等女学校出身者たちと交流し、体験談を聞いた。さらに上弓削の願成寺で行われた戦没者慰霊会に出席できた。

同時に因島図書館において弓削町誌と岩城村誌を閲覧した。昨秋読んだ生名村誌と同様に、因島空襲について丁寧な記述がされていた。また今治空襲の犠牲者について記されている。

弓削町誌

弓削島における日露戦争から太平洋戦争の犠牲者について次のように記している。

―弓削においては、尊霊の総数二九七霊である。内訳は、軍人一二九霊・軍属一六二霊・その他六霊である。軍属には、陸軍軍属と海軍軍属とがあり、その他六霊には、海軍予備練習生一霊・義勇軍一霊・女子挺身隊員二霊・学徒隊員一霊・身分不明一霊が含まれている。

次に芳名を謹記することによって、いささか鎮魂の誠を捧げたい。

この名簿のなかに、昭和20年7月28日の空襲によって因島造船所内で死亡した3人の軍属と、同年8月6日の今治空襲で死亡した女子挺身隊員2人の氏名を見ることができる。

岩城村誌

因島空襲について次のように記述している。

―昭和二十年七月二十八日、岩城村と、指呼の間にある因島の日立造船工場は米軍艦載機の熾烈な空襲を受けた。この時、岩城村からの通勤工のうち一名が爆死し、村内でも銃撃で二名が負傷している。眼下に動くものはすべて米機の標的であったのである。

この日の米機の嘲弄するがごとき爆撃、銃撃の乱舞で、旋回飛行の真下にある岩城島の人びとは生きた心地せず防空壕、退避壕、間に合わせの〝芋つぼ〟に身をひそめ家族の名を呼び合った。

今治空襲において紡績徴用工であった女性2人が死亡した。西南の役から太平洋戦争の終わりまで、岩城島出身者は152人が亡くなった。

昭和15年早春、岩城島で陸軍航空燃料格納庫群の建設が始まった。因島造船工場を防衛する対空高射機関銃や高射砲(木製擬砲)が設置された。

「英霊」という名簿に、因島空襲と今治空襲の犠牲者3人の氏名がある。

願成寺の慰霊会

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上弓削の真言宗願成寺(山尾徳雄住職)において9月26日、戦没者慰霊会があった=写真

昭和32年4月21日、前住職の山尾弘雄さんが、檀家である戦没者の過去帳を作成した。戦死した軍人、軍属、今治空襲犠牲者を網羅した。遺族の要望に応えたものであるという。

それ以来毎年、盆と彼岸の年3回、慰霊会がしめやかに行われている。この日読経のなかで戦没者63人の戒名が読み上げられた。

(青木忠)

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