75歳老人のフーテン 2019東北の旅【90】新潟の斎藤家

旧斎藤家別邸入口(新潟市)

9月19日(木)①新潟の斎藤家

斎藤家は幕末造り酒屋と酒問屋でスタートし、北前船で廻船問屋も手掛け大きな財をなしている。その後は海運業や金融業に手広く商いを拡げ、新潟3大財閥の一つと謳われるようになる一方で地主としても大きくなっている。

なかなか先を読む力があり鉄道網が確立し電信・郵便網が確立してくると北前船での廻船問屋の方は利益が出にくくなり撤退しているが、一方で金融業に手をひろげ、日本海側の貿易・佐渡交易の海運業には力を注いでいる。その他にも化学肥料の会社経営も参入している。

その間に新潟の財閥小沢家や伊藤家などと縁戚関係を強め新潟一の豪商と言われるようになっている。

最終的には株に投資する持株会社の傾向を強く持つようになっている。現在に残る斎藤財閥の流れをくむものには佐渡汽船・第四銀行などが残っている。そして斎藤家は単なる地方財閥とは違い教育や学問を大事にしていたようで、巧みに時代の流れを読み繁栄して存続してきたといわれる。

戦後、旧斎藤家別邸は進駐軍に接収され、後に民間の手に渡り、その後市民による保存運動が起こり現在に至っている。

斎藤家は戦後GHQにより財閥の解体命令を受け、持株会社の株は政府管理になっている。現在の斎藤家はどうなっているかと、建物管理の事務員に尋ねると、佐渡汽船の桟橋の前の大きな立体駐車場のオーナーであり富裕で新潟では存在感がありますと答えた。建物の一角に斎藤家の家系図があり、所々に人物写真が貼ってあるが、その中にはクラスメイトの彼女に似た顔は無かった。

彼女の卒業後の消息は一切知らないが、斎藤家の慣例の政略結婚のような結婚をするような女性ではなかった印象がある。戦後民主主義の洗礼を受け近代的自我の強い女性であったことは印象に残っている。

田中伸幸(因島田熊町)

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