因島折古の浜で海水浴 英国兵捕虜写真を公開 昭和20年9月帰国直前

10年間にわたって行われた元戦争捕虜招聘事業が昨年10月で終了したのに伴い外務省欧州局西欧課の海野哲也外務事務官が6日、向島町、7日、因島三庄町を訪れ、関係者に感謝を述べた。

そしてその際、戦争が終了し解放された英国兵捕虜たちが三庄町の折古の浜で海水浴をする写真2枚が公開された。

因島三庄町では、当時英軍捕虜との交流があった宮地茂・定子夫妻、交流事業の世話役の岡本馨さんらが海野さんを迎えた。一行は交流したのち、特養「しまなみ苑」の庭にある、日英同盟100周年を記念して2002年に植樹されたイングリッシュ・オークを見学、折古の浜に向かった。

当時県下には第二次大戦中、向島町と因島三庄町に英軍捕虜収容所があり、それぞれ194人、185人が収容されていた。因島は1942年11月に設置され1945年8月の終戦までつづいた。

開設と同時に、ジャワで捕虜になった英空軍兵士約100人、それから2カ月後、香港防衛義勇軍の英兵約100人が収容され、全員が日立造船因島工場で強制労働につかされた。その間、13人が死亡し、生き残った兵士たちは終戦後それぞれ本国に帰国した。

写真は、帰国間近い1945年9月15日解放日の数日前に撮影されたもので、英国兵捕虜の隊長ハロルド・プリチャードの日記・記録簿とともにロンドンの国立公文書館に保存されていたものである。この写真は同隊長の息子イアンさんから昨年11月、日本に送られてきた。

隊長の記録には次の様な記述がある。

 「対日戦勝日の後、米空軍からの食糧、充分な米、新鮮な野菜や肉によって、男たちは急速に体重が増していった。1945年9月15日の解放日まで、もっとも体調の良い約100人の男たちは、体操、水泳、フットボール、および行き帰りの行進にきちんと参加した。」

現在とほとんど変わらない折古の浜の風景である。その海岸でいかにも戦勝国兵士として解放された喜びに溢れた表情が印象的である。左手前に越中ふんどし姿の日本人らしき人物が写っている=写真上=。

水泳の準備だろうか、伸びやかに体操するおよそ100人の英軍兵士たち。「帰国はもうすぐ!」と母国に馳せる気持ちがよく見てとれる=写真下=。

1997年9月、元捕虜の英軍兵士たちが三庄町を訪問した際に、収容所内での集団写真が公開された。そこに写っている8人の兵士の表情は硬く暗い。まさに雲泥の差がある。

戦争が終わって62年目の今年、因島空襲のあった7月28日に初めての慰霊祭が市民の力で行われようとしている。犠牲者のなかには朝鮮の人もいた。病気などで英軍捕虜13人が異郷の地で亡くなった。今再び、昭和20年が蘇り、その評価が問われようとしている。

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