続・井伏鱒二と因島【16】その作品に表現された「因島」

私は初対面の今井さんに紹介された。「ほかに誰か、講演する人は来ないんですか」ときくと、「いや、窮すれば通ずです。いま、横山美智子さんがおいでになりました」と今井さんが云つた。横山女史は尾道の出身だといふことで、ちやうど帰郷したところ林さんの講演会があると知つて、応援の意味で来てくれたさうである。私は初対面の横山女史にも紹介された。

今井さんは私に、講演は五分間でも六分間でもよろしい、林さんの引立役をつとめてくれと云つた。私は途中の汽車のなかで、郷土史の必要について話す案を立ててゐたが、演壇に立つと急に模様がへをしてチエホフの「賭」といふ小説について話した。控室に引返すと「十分間でした」と今井さんが云つた。次に林さんが演壇に出て、自作の詩を処女出版の詩集で三つ四つ朗読した。わづか五分間で終つたが、それこそ聴衆から盛大な拍手を送られた。次に横山女史が出て、文学と恋愛について一時間半にわたつて話してくれた。雄弁だから頼もしい。聴衆は森閑としてきいてゐた。主催者の今井さんも、来会の聴衆に対して結構面目を保つことが出来たのである。

この尾道行きがきつかけで、私は林さんとつきあふようになつた。御主人の手塚さんとも知り合ひになつた。

『二つの像』(新全集第15巻327~8頁)

井伏によれば芙美子の手紙にある「有名な人」とは小林秀雄のことを指し、尾道行きは芙美子と井伏は別々の行程であったことになる。また、井伏は講演会直前に尾道に到着したとあり、前日の歓迎会には出席出来ないことになる。

私はこの前後の土井家弔問前後のことが「集金旅行」に変形されたとする涌田氏の説は大変興味深いが、涌田氏はこの井伏の「二つの像」を目にしていなかったのではないか、また尾道商業会議所に三百人が集まったと想像するのは無理があると思える。尾道商業会議所の議事席は50席しかなく2階席も含めれば百人がやっとではないか。ただここでは涌田氏の説の紹介だけにとどめておきたい。

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講演会の会場となった尾道商業会議所議場(現尾道商業会議所記念館)

(石田博彦)

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