続・井伏鱒二と因島【15】その作品に表現された「因島」

ところで、井伏のこの講演会の件に関して「二つの像」という作品がある。「二つの像」は1952(昭和27)年『心』に発表された。「二つの像」は芙美子との思い出を述べたものだが、この講演会に関する部分のみ掲載したい。

はじめ(昭和三年か四年ごろ)お互いにまだ見ず識らずのとき、林さんが私に手紙をよこした。尾道の町へ私と小林秀雄を連れて講演に行きたいから、小林に交渉してみてくれといふ文面であつた。それで小林に手紙を出すと、いま病気で寝てゐるから、尾道のやうな遠いところには行けないと云つてよこした。その手紙を林さんに取りつぐと、さつそく林さんが私のうちにきて、いまから小林のうちに連れて行つてくれと云つた。もう尾道では、小林が行くのをあてにして、講演の予告にも名前を発表してゐるさうであつた。緊急を要することがわかつたので、私は林さんを案内して田端の小林のうちに行つた。

案の定、小林は屈託顔で私たちに応待した。茶の間の長火鉢の前に大儀そうに胡座をかき、林さんが尾道の清酒や鮮魚について話しだすと、「尾道の魚や酒はうまいかしらないが、病気ぢや飲めねえからね。行つたつてつまらねえ」と、あつさり小林は断わつた。とりつく島もないのである。それでも調子よく諦めた風で、小林のお母さんが夕飯を御馳走すると云ふのに、早いところ一人で帰つて行つた。それを小林のお母さんが見送つた。市電の停留場まで見送つたさうである。

尾道へは、小林が行かなくても私は出かけて行く事情になつてゐた。林さんの女学校時代の先生で尾道の今井さんといふ人が、林さんだけでなく林さんのお母さんのためを思つて、にぎやかしのために呼んだものである。そのころ林さんのお母さんは岡山にゐた。私は林さんが出発した翌日出発して、やつと講演の時間に間にあつた。会場の入り口に、剥がしたポスターが落ちて、雨あがりだから土まみれになつてゐた。そのポスターで見ると、講演者は林さんと小林と私の三人である。入口に新しく貼られたポスターには、林さんと私の名前だけ書いてあつた。

 

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講演会の会場になった尾道商業会議所の入口(現尾道商業会議所記念館)

(石田博彦)

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