福島放射能汚染地域に生きる子どもたち【10】

私は3月23日朝、避難先の横浜に家族を残して、新学期準備のために未だ原発の行方がわからず、今後どうなるのかと言う不安を抱えて、孤立していたいわき市に戻りました。横浜を出るとき、その時は、もしかしたらこれで会えなくなるかもしれないと思っていました。


東京からバスで日立まで行き、日立からは福島県との県境の北茨城まで行く臨時バスを3時間待って乗り、北茨城に戻り、友人の家に置いていた自分の車に乗っていわきに戻りました。横浜から1日がかりです。夜は車1台通らない真っ暗な街、人も避難していて、いない街です。人の話も声も聞えない街になっていました。

電気は通電し、避難中に水道も復旧しました。しかしガスはまだです。ガソリンは一人20㍑以内か2000円以内しか入れられないのですが、6時間から7時間待ちで入れました。店は開いていません。ご飯もない。市内の支援物資はパン1個とお茶のペットボトル1本とかの状態でした。私は友人が作ってくれたおにぎりを何日かに分けて大事に食べました。

その夜、この放射能汚染地域でどの様に生きたらいいのかなという思いと、大勢の友人知人や幼稚園児も避難し、しかも誰も来れないような汚染状況で、この先どうなるのかなと考えると、少しセンチメンタルになりました。

和合亮一=写真下=は「福島が泣いているんだよって聞えたような そんな言葉が浮かんだようなきがしました」と書いていますが、福島が、いわきが、人も来ないような孤島となっていること、見捨てられていることを思うと、福島の抱える孤立感、孤独感の如何に深いかを強く感じました。

30㎞と30.1㎞の違いは何か。ただの線引きに過ぎないこの線引きの意味、機械的な線引きがいわきの孤立化を一層深めたと思います。また報道関係もいわきなどを原発の危険地帯として捉えて、いわきに入ることを止めていたと聞いています。ガソリンも石油もない、食料もないいわきがポツリと取り残されているのです。

原発の状態が不安定な中で、いわきを誰もが避けていると感じて孤立感を一層抱きましたし、ここに生きている人々がいることさえ、忘れられているような感じを強く受けて仕方がありませんでした。宮城や岩手には次々と色々な支援が入るのですが、いわきへの支援の動きは遅いように思いました。

和合亮一 詩人。福島県福島市出身。ラジオ福島でのパーソナリティを務めるなど、多彩な活動を展開している。

wagou

土屋修二(瀬戸田バプテスト教会牧師・博愛幼稚園園長)

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