警察官僚亀井静香を政治家に転向させた「浅間山荘」事件の背景【1】

先週号「傍目八目」の欄で、亀井静香代議士は「あさま山荘事件」で逮捕した犯人グループに対する憎しみと政治的背景の複雑な思いから「志ある若者がなぜ誤った道に足を踏み入れたのか。そこに政治の責任を感じて警察庁を退職、政治家になる決心をした」と書いた。

この話は、今さら―と、思わないでもなかった。それに火をつけたのが俳優、菅原文太さんの講演(自民党研修会5月21日因島市民会館大ホール)だった。文太さんが新幹線の中で読んだ文芸春秋6月号で知った「あさま山荘」事件=写真下=の隊長さんが亀井静香代議士であったとことに感動、当時を思い出しながら日本の若者へのメッセージを送った。

昭和元禄と学生運動

敗戦後の日本の都心は焼土の中から復興。64年の東京オリンピックで東洋の魔女ブームを沸かせ、昭和元禄を謳歌する名残りというか、平和と退屈を象徴した時代ともいえるだろう。60年代後半から70年代にかけ、東アジアは文化大革命真っ只中の中国に傾倒する若者が増えた。そうした時代に左翼運動が退潮期に入り、東大安田講堂は落城し、学生運動は岡大、広大へと飛び火した。

「革命だ」「解放区だ」と言ったところで、ドメスティック(家庭的、国内的)な平和に満たされた日本社会。南北朝鮮戦争やベトナム戦争のように実弾が飛び交い死と隣り合わせたものでない。せいぜい火炎ビンを投げ、投石するぐらいのこと。鎮圧に向う警察機動隊が催涙弾や放水で痛めつけるのを大学キャンバスの中で取材したむなしさは今でも忘れない。そのころ「圭子の夢は夜ひらく」という流行歌で「15、16、17と、私の人生暗かった」と歌う。冗談じゃないよ。こんな戦争のない国に生まれて―と、平和の矛盾を享受したものだ。

戦後ニッポンの団塊世代

浅間山荘事件

70年安保の前半、東大・安田講堂落城で、全共闘運動は事実上、終焉した。学生の間に敗北感がただよい「どうせ安保闘争の勝利なんかできない」というのが本音だった。しかし暴力だけは、内ゲバという形で激化していった。それまでの内ゲバは、日本共産党系(民青など)反日共系(ブント=共産主義者同盟、中核派、社青同など)という集団的な衝突がほとんどであった。それが、東大紛争以降は、セクト間の戦いという様相になり、暴力がエスカレートして行った。リンチの末に殺される。鉄パイプの餌食になる。糾弾されて自殺に追い込まれる―など。こうした風潮が、やがて71年―72年の一連の連合赤軍事件へとつながって行くことになる。

全共闘といっても、本当にマルクス主義に共鳴している者はごくわずかで「資本論」に目を通したこともない者の方が多かった。大学を壊す、既成概念を覆す、といった体制の打破が目的であって、そこには階級闘争というイデオロギーの意識は希薄だった。だから全共闘の求心力を失ったら各組織の秩序が崩れて分裂、内ゲバが激しくなるのは当然である。北朝鮮で武装訓練を目指した赤軍の「よど号ハイジャック事件」。あとでわかったことだが、犯人の大半は飛行機に乗ったこともないから第一回目は失敗した。

庚午 一生(元産経新聞記者)

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