警察官僚亀井静香を政治家に転向させた「浅間山荘」事件の背景【2】

搭乗の仕方もわからなかった「よど号」ハイジャックの犯人たちは、目的地の北朝鮮についても教科書レベルの知識しかなかった。知らない国に行けば新しい世界が開けるという未知への期待、いわゆる彼等にとってのロマンとしか理解できない。これを「新人類」とか団塊の世代的行動とひと口に決めつける人もいる。あとで聞いたことだが、乗客を縛り上げながら、リーダー格の男がマイクをとって長々と演説をぶったそうです。

はったばら 「われわれはァー」と語尾を引っ張るアジ口調で、共産主義者同盟(ブント)赤軍派の者である。合法的に国外に出られないので、ハイジャックという方法で北朝鮮に脱出する。騒ぐと生命の保証はしない。われわれの目的は、北朝鮮で軍事訓練を受けることだ。そしてキューバやメキシコ、ヴェトナムに行き世界革命の指導者として自己を鍛え、秋には東京で革命が起きる―とアジった。「前段階蜂起をもって世界プロレタリア人民とともに―」とか、難解な用語をならべ聞く側にとっては、さぞ、うんざりしたことだろう。

奇妙なことに名前をかくしていた犯人全員が人質解放=写真=のさい自己紹介するという光景が繰りひろげられた。ハイジャック犯の赤軍メンバーに「がんばれよ」と声をかける人、握手を求める人。この不思議な光景は「ストックホルム症候群」といって、生殺与奪(せいさつよだつ=どうしようと思いのまま)を握っている犯人に人質が一体感を持つ現象で、浅間山荘事件で人質になった牟田泰子さんが「学生さんたちは紳士的でした」と言ったのも同じことである。

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しかし、北朝鮮へ飛び立つ「よど号」に解放された人質が手を振ったことにはマスコミにずいぶんと批判された。そしてこのとき、日本刀をもって客室や操縦室の間を歩き回っていたのが、後にドル札偽造でカンボジアで捕まる田中義三だったことを付け加えておこう。

七十年代に変わった運命

68年の東大・安田講堂事件に象徴される学生運動が、東大の入試中止に追い込まれた。福山大学創始者の故宮地茂総長が文部省官僚の時代だった。69年1月の東大紛争を最後に全共闘運動も下火となった70年3月にはアジア初の大阪万国博覧会。6400万人の観客を集め高度成長経済を加速させた。同じアジアで65年に始まった他人事で普遍的な正義や善に対する不信感、価値観など喪失される傾向が強かった。そうした自由放縦な気分に終止符を打たれたのが、72年の連合赤軍の事件といえるだろう。

視聴率89.7パーセント

72年2月の寒い朝だった。テレビのスイッチを入れると、浅間山荘に左翼の学生が人質と籠城。雪深い浅間山麓での銃撃戦の映像が目に飛び込んできた。目の前で見ている事件がまったくわからない。広島大学の闘争事件の取材経験から長野の信州大学で火炎瓶を投げていた学生が警察に追い詰められているぐらいのことしか思い当たらなかった。当然のことながら、「連合赤軍」など知る由もない。

庚午 一生(元産経新聞記者)

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