続・井伏鱒二と因島【10】その作品に表現された「因島」

第二章 昭和6年(1)土井家弔問

尾道で行われた講演会の翌日、昭和6年4月29日、井伏は林芙美子とともに、土井家を訪問している。その目的は土井医院の跡継ぎ息子である春二氏が東京で客死し、その墓参りのためである。「因島半歳記」に次のような記述がある。

その後十年ちかくたつて、私は林芙美子さんにすすめられて尾道へ行き、やはり林さんにすすめられて一緒に三ノ庄に行つた。私の泊まつてゐたうちの後とり息子が亡くなつたので、展墓の意味もあつた。岡の上のお墓に花を供へ線香に火をつけてゐると、麓の寺で釣鐘を撞く音がした。岬の突端で汽笛を鳴らす音も聞えて来た。やがて島に左様ならして帰るとき、林さんを見送る人や私を見送る人が十人たらず岸壁に来て、その人たちは船が出発の汽笛を鳴らすと「左様なら左様なら」と手を振った。林さんも頻りに手を振つてゐたが、いきなり船室に駆けこんで、「人生は左様ならだけね」と云ふと同時に泣き伏した。そのせりふと云ひ挙動と云ひ、見てゐて照れくさくなって来た。何とも嫌だと思つた。しかし後になって私は于武陵の「勧酒」といふ漢詩を訳す際、「人生足別離」を「サヨナラダケガ人生ダ」と和訳した。無論、林さんのせりふを意識してゐたわけである。

『因島半歳記』(新全集第20巻323~324頁)

土井家の墓所は「妙見山明徳寺」にある。その墓所は、山門を潜り、正面の本堂の左手の丘の中腹にある。土井家の墓地からはすぐ近くに本堂・山門が見える。当時は土井家の墓所と山門との間に小高い山があり、直接には山門を見ることが出来なかったらしいが、しかし井伏の「麓」という表現にはかなり違和感がある。また、「汽笛」についても定期船も廃止されて久しく、明徳寺から定期船の汽笛の音が聞くことができたかという確証もない。

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土井家の墓所がある「妙見山明徳寺」(因島三庄町)

(石田博彦)

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