空襲の子Ⅱ【59】十年間の調査報告 31年前の新聞(6)

 31年前の中国新聞の小さな記事を見たことをきっかけに、私自身が空襲の事実を忘れることで戦後を生きてきたひとりであることを痛切に確認することになった。かなり前からこのことに気付いていた。


 書評専門の全国紙「図書新聞」(2010年5月)のロングインタビューのなかで、「60年代、70年代の学生運動、革命運動の反省すべきところ、総括すべきところ、残すところは?」という質問に私は、次のように答えた。

―これは手短にはいえないことですね(笑)僕は自分の家のまわりの空襲のことを調べているのですが、つい最近、三軒が空襲にあったことを知りました。また、沖縄から越してきた人たちが11人も死んでいたことを聞きました。それを知らないまま、僕は学生運動をやっていました。(中略)
だから自分の家の隣で起きた戦争について知らないまま、僕はああだこうだ論じていた。知ってたらどうだっただろうか思うけど、やはり僕らのやったことは絶対に正しかったんだよ、というのは確信しています。ほんとうに人生を賭けてやったことでした。自分にとっては生きるたたかいでした。しかしその上で、戦争についてもう少し深い理解があったらよかったんだなと思います。

 インタビュアーは同年代の作家・歌人の小嵐九八郎氏だった。旧知の仲なのでのびのびと語ることができた。政治運動から引退した私は、たとえ指導的にかかわった過去の運動であろうとも、とやかく言う立場にはないが、あえて空襲調査からの発言をさせてもらった。誰もその視点からの言及はしようとしていないからである。
 戦後日本の反戦・平和運動は、第二次大戦の国民的な体験を基盤にしている。しかし、その大戦について国民はどこまで知っていたというのだろうか。真相の調査どころか戦争の最中から真実は隠蔽されつづけてきた。敗戦後も同様の事態は継続した。
 戦争が何であるか直接に知り得た者は、戦禍のなかで皆死んでいった。生き残った者は目撃するか、不確かな情報を伝え聞くだけである。まだそのような人たちは幸いである。私のような生後10カ月の戦争体験者はどうなるのか。何も知らないまま成長していったのだ。
 確かに歴史的事実としての大戦と日本の敗戦は知っていた。だが、その渦中に自らがいたという主体的な意識など皆無であった。したがって戦争や平和の問題は、どこか他人事だったのかも知れない。
 大学で学生運動を始めたころ、親たちの世代からいやというほどたしなめられたものだ。それも異口同音に「君らのように体験のない者に戦争が分かるはずがない」というものだった。しかし、戦争とはこういうものだ、と教えてくれたひとはそのなかに誰ひとりいなかった。
 私はむきになって反論し、いかに自らの主張が正しいか大声で語ることにしか関心が持てなかった。今にして思うのだ。何故その時に頭をさげて尋ねなかったのか、と。自らが知らないことを率直に認め、教えを乞うていたらどうだったであろうか。有意義な会話が成立していたのではないだろうか。
 空襲の調査に当って私は、過去のすべてを一旦捨て去った。そして懇願し、大戦当時の話に懸命に耳を傾けようとした。おのずと私に語りかけてくれる人たちが増え、その話の意味への私の理解力も日ごとに深まっていった。資料も次々と私のもとに寄せられるようになった。
 因島空襲調査の窓から見える私自身、そして因島、それに繋がる日本と世界。新しくつかんだ人生観、歴史観、世界観。これこそ必死になって求めた、本物で確かなものだと思うのだ。
(青木忠)

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