75歳老人のフーテン 2019東北の旅【56】本間家旧本宅

9月15日⑤本間家旧本宅

山形県酒田市の町はちょいとした地方都市といったところである。酒田は昔一度訪れたことがあり、山居倉庫のあたりを中には入ってはいないが歩いた記憶がある。

ここで興味があるのは本間家である。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われた、あの本間家である。

酒田の地理感はないので、タクシーに乗り山居倉庫に行き、歩いて本間家旧本宅に行くことにしたが、タクシーの運転手が山居倉庫と本間家旧本宅は離れていると年寄り私に助言をくれた。私はたちまち方針を変え本間家旧本宅に行くことにする。そしてそこだけ訪れて酒田から鶴岡に移動することにする。

白壁の塀に囲まれた本間家旧本宅=写真㊤=に入り、ガイド嬢の説明を聞きながら内部を案内していただく。本間家は最初北前船で財を成し、一方で農業振興に努める。今も残る酒田平野の海岸線に続く松林の砂防林はそのほとんどが本間家によるもので、この地方の農業振興に大きく寄与し大地主になっている。一方米相場でも莫大な財を成した。そして商人と地主として力をつけてきた家である。

この本間家旧本宅は江戸時代中期幕府の役人の本陣宿として造られ、庄内藩主酒井家に献上され、その後本間家が拝領したものという経過がある。というわけで武家屋敷と商家造りが一体になる珍しい建築様式である。手入れもいいのだろうが築250年経過しているのだがどっしりとした堅牢でいて華麗さを秘めた建物である。

1976年の強い西風による町の中心部の1774棟を焼失した酒田の大火にも白壁の築地塀のおかげで奇跡的に焼失を免れた。そして本間家の家族は1945年の春までこの家で生活していた。

ガイド嬢によると昔から本間家の生活は質素で従業員には手厚く処遇し、地域社会の発展に寄与し飢饉にも貧民救済事業にも惜しみなく財をつぎ込んだ。

そして庄内藩主酒井家の信望も厚く藩財政の相談に預かっている。そのため地域での信望は高かった。

明治維新後も三井家・住友家のように財閥化せず、地方の一富豪として代々存在し、酒田に貢献してきたと絶賛した。

戦後も農地改革で耕地のほとんどが没収されたにも拘わらず、この建物を30年近く公民館として開放している。ため柱には画鋲や釘の穴が残っている。

現在もこの建物は本間家所有で、酒田市が観光の目玉として利用さしてもらっているのだという。

そして本間家は今でもいろいろと事業を営業し、酒田の富豪として存在している。

ガイド嬢に本間家は権勢家として酒田の庶民に対して横暴な行いは無かったのかと質問したくなるほどの絶賛であった。

いずれにしても本間家は時代に応じて酒田の町それなりの貢献をしてきたようである。

田中伸幸(因島田熊町)

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