ふるさとの史跡をたずねて【220】久保田権四郎氏顕彰碑(因島中庄町浜床)

久保田権四郎氏顕彰碑(因島中庄町浜床)

因島中庄町の浜床団地入口には、久保田権四郎氏顕彰碑とともに、升浜道路改修記念碑と島四国の道標もあるが、今回は久保田翁顕彰碑だけについて述べる。

まず、右端に「従一位勲一等侯爵浅野長勲纂額」と書いてある。これは幕末から明治大正昭和と活躍された最後の広島藩主浅野長勲(ながこと)氏の額が上部に彫られていることを示す。この装飾性に富んだ四文字は篆書(てんしょ)と呼ばれる書体で、右から「切切念郷」と読むのだろう。なぜならば、本文のうしろの方に「切々念郷稜々赴義」は真に君の如き者を謂うべしと書いてあるから。君の如きとは、久保田権四郎君のごとき、という意味である。それで「切切念郷」は、切々と郷を念(おも)ふと訓読し、深く郷里を思うという意味である。あるいは切々たる愛郷の念と解してもわかりやすい。

さて、それではこのような顕彰碑がなぜここにあるかというと、昭和2年1月に中庄重井道路が久保田権四郎翁の寄付で改修竣工されたからである。その道路の北端は中庄村重井村の境界で、前回述べた、三反田広道線と接続していたと思って間違いはなかろう。しかし南の端についてはわからない。この場所であれば、もう一つの改修記念碑に書かれている升浜道路に接していたことがわかる。あるいは更に南へ伸びて別の幹線道路と接していたのかもしれない。

いずれにせよ大浜村からは崩岩の切り通しのあった大浜重井往還(旧道)を経て重井村、中庄村への往来が便利になるとともに、中庄村重井村の交通の便に益すること大であったということは、本文に書かれてある通りだっただろう。

写真・文 柏原林造

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