ふるさとの史跡をたずねて【217】久保田権四郎翁頌徳碑(因島大浜町斎島神社前)

久保田権四郎翁頌徳碑(因島大浜町斎島神社前)

明治の公教育が明治6年から始まったのであったが、その頃に生まれた人に久保田権四郎(旧姓大出)さんがいる。大きな久保田権四郎翁頌徳碑が大浜町の斎島神社前にあって、権四郎さんがいかに地元の人たちから尊敬されているかがわかる。明治3年のお生まれだと書けば、まさに初期の小学生ということになることはすぐにわかるだろう。今のように新しく小学校ができて4月から全校揃ってスタートというイメージで考えることはできない。まさに試行錯誤、制度はできたものの子供は集まらず、と言ったところだった。教師も十分集まらなかった時代であったから、それでよかったのだろう。次第に学校というものが整っていく、そのスタートであったのだ。ということは、権四郎さんにとっては行っても行かなくてもよいということだったに違いない。しかし、学校制度が充実していくことは、学校に行ってなくても世の中が大きく変わっていることが、子供心にもわかるという大きな教育的効果はあった。そしてその効果は外から教えてもらうものではなく自分で感じるものであるということはいうまでもない。

このような時代の中で権四郎さんは、15歳で単身大阪に出て、鋳物技術を身につけ19歳で大出鋳物を創業する。その後久保田家の養子となって久保田鉄工所となるのは明治30年であった。久保田権四郎さんは数々の発明をするが、特に水道管の製法は多くの特許となって会社を飛躍させた。だから日本の上水道の歴史はまさに久保田の歴史であった。

ところが皮肉なことに、因島市時代の水道料金は日本一高いと言われていた。私の住むところに市の水道が伸びてくるのは尾道市になってからであったから、その話が嘘か本当かはわからないが、もし晩年の権四郎さんが聞かれたら、その辺の水道管を好きなだけ持って行けと言われたに違いなかろうから、権四郎さんが亡くなってからの話であろうか。

自動車のエンジンは鋳物だから、初期の自動車産業も牽引した。後に売却されて、そこから日産自動車になった。民生品としてはトラクターが有名で久保田鉄工といえばトラクターメーカーだと思っている人は多かったが、その技術は初期の頃からあったのだ。現在の社名は株式会社クボタで、世界的な大企業であるのはいうまでもない。

写真・文 柏原林造

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