空襲の子Ⅱ【52】十年間の調査報告 生名島と弓削島(2)

 「弓削町史」と「生名村史」は因島空襲をどのように記述しているのか、因島図書館に向かった。そして生名村史を読んで愕然とした。生名島から見た空襲が、最大限度のスペースをとって書かれていたのだ。この時ほど、因島で生まれ育ったことを恥ずかしいと思ったことはなかった。


 「生名村史」は、合併による上島町発足直前の2004年(平成16)9月30日に発行された。目を見張ったのは、「因島市史」とは対照的な近代史記述の充実ぶりであった。第二編の「第四章 近代の生名」に560頁以上が割かれている。項目を見てみよう。
01 幕末から明治維新期の生名
02 明治前期の生名
03 明治後期の村域
04 大正期の生名村
05 昭和前期の生名村
06 太平洋戦争後の諸改革
07 揺れた越県合併問題
08 生名の教育と文化
09 産業の発達
10 交通の歴史
11 神社・仏閣
 「激動の昭和十年代の歩み」というテーマが設定されており、日中戦争から太平洋戦争下の生名村が真正面から描かれている。「戦時下の諸団体・学校の動向」、「戦時下の企業の動向と生名村」、「終戦を迎えた生名村」など非常に興味をひかれる。
 生名国民学校の「訓育日誌」が掲載され、1945年(昭和20)年3月以降の緊迫した教育現場の状況を伝えている。5月5日は次の通りである。
空襲警報 朝07:15
〃〃解除 〃08:25
〃〃警戒 〃08:48
〃〃警報 〃10:15
〃〃空襲 〃10:20
〃〃解除 〃11:55
〃〃警戒 昼12:00
〃〃警報 〃12:11
〃〃解除 〃12:55
 敵機200近く尾道上空を西進す。B24(筆者注、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍の主力大型爆撃機)
 生名国民学校の「訓育日誌」は、5月5日午前10時20分に空襲があったことを告げている。この記録は、因島空襲は3月19日と7月28日の2回という日立造船の発表を覆すものである。日立造船因島工場への空襲の証言を行った三浦勉氏は、3回にわたって空襲があり、5月に入渠中の戦艦が攻撃されたと語った。
 当時、因島工場で強制労働に就いていた英軍捕虜のひとりであるテレンス・ケリーさんはその著書「日本人と暮らす」のなかで五月五日について書いている。その文章は次の記述で始まっている。
―3月19日の土生への空襲の後の六週間は、個別的な飛行機の飛来は別として、静かだった。しかし5月5日の事件はいっそう不吉な変化をもたらした。
 この事実を会社は発表しなかった。当時の因島工場は実質的に軍の管理下にあったから、その空襲が戦艦を狙ったものなら、なおさら隠蔽する必要があった。しかし、隠しきることはできなかったのだ。
 対岸の生名島の国民学校の日誌は、5月5日空襲の事実をしっかり書きとめていたのである。
(青木忠)

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