ふるさとの史跡をたずねて【213】ダバオ(因島重井町須越)

ダバオ(因島重井町須越)

重井小学校がまだ木造校舎の頃、踊り場の壁に山本卓先生が指導して児童に描かせたガリバーの壁画があった。個性の異なる子供たちに一つのテーマで共同して絵を描かせるという稀有な指導力を持たれた先生であった。そのベニヤ板一杯に描かれた壁画の隣に、それよりもさらに大きなワニの剥製が掲げられていた。その下には柏原達象氏寄贈と書かれた板が打ちつけられていた。恐竜図鑑などまだない時代であったから剥製とはいえ本物であるからよい教材であった。

当時は給食はなく、多くの児童は昼休みには昼食を食べに家に帰っていた。だから、1日に4回私は柏原達象と書かれた大きな門柱のあるお屋敷の前を通った。そして、このお屋敷=写真右=は荒神社の下にあり、ダバオと呼ばれていた。

ダバオというのは、フィリピン南部のミンダナオ島にあるフィリピン第三の都市で現在はダバオ市と呼ぶ。ダバオでは1903年に太田恭三郎氏によりマニラ麻のプランテーションが開かれ、以来多くの日本人が住んだ。

明治17年生まれの柏原達象氏はダバオで最初のホテルを経営し町の発展に寄与された。人格者で多くの人の信頼も厚かった。

ダバオでは現地の子供たちがワニの子を取る。大人は数人で親ワニを取る。時には足を喰い千切られたり、死んだりした。獲物は剥製にして日本人に売りに来る。彼らにとっては生活の資であるから、それを買う日本人もあながち道楽ばかりともいえまい。善意で買った人も多かっただろう。

戦争が起これば海外移住者は敵国人になるのはわかっている。移民が国策であった以上、海外で戦争してはならない。それが守られなかったのだから棄民政策だったと呼ばれても仕方がない。

柏原達象氏の資産も戦争の犠牲になったというから、私が見た剥製はかろうじて日本に持ち帰れらたものの一つだったに違いない。

さて、ここには、ペルーのデパート王藤井忠三氏の遠縁にあたる方が、藤井氏の勧めで東京で学んできて、因島でも最先端の技術をもった美容師として経営されていた美容院があった。また、それ以前の歴史を見れば台湾米と呼ばれた柏原米太郎氏が住んでいたところであった。

ということで、この地は奇しくも波濤万里・海外雄飛の3人のアドヴェンチャラーのゆかりの地ということになる。

写真・文 柏原林造

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