ふるさとの史跡をたずねて【203】明治橋(因島重井町新開)

明治橋(因島重井町新開)

明治橋という名前がついた橋は方々にあるが、重井川の最下流に架かる明治橋はすぐ隣にある東西橋が主役になって、影の薄い存在である=写真上

現在では、その名前はその周辺地域を字(字)のような形で呼ぶことで使われて用いられているに過ぎないだろうが、そのような地域の呼び名も若い人には通用しなくなったし、第一住所に書き添える習慣が消えて久しい。かつては郵便配達員のエリアが限られていたせいか番地のない郵便物でも届いていたが、現在では字よりも番地の方が必須である。

そういうご時世ではあるが「明治橋」と書いた石碑が残っていて、確かに明治時代に作られた橋だと確認できることはうれしい=写真下

私は想像するのであるが、初めは丸太を渡した橋を作る。その後その上に土が盛られれば土橋になる。それが明治時代になって石橋に変わった。その時に明治橋という名をつける。ただし、この石碑が橋の完成と同時に建てられたものかどうかはわからない。

それまでは神社仏閣の鳥居、狛犬、灯籠、灯籠の延長としての常夜灯、墓石、仏像などに腕をふるっていた石工の仕事が、村ぐるみで行われる社会的インフラへと拡大していったのではないかと思う。

橋が架かり道路が広くなれば人が動く。人が動けば荷物も動き、交通機関にも変化が起こる。そのような変化の動きは、やがて地方にも伝わり、因島でも各地で橋や堤防の改築が行われる。そしてその主役は石であった。それに鋳物としての鉄が加わり、セメントや鉄筋コンクリートの時代になるのは、もっと後のことだ。

そしてもう一つの変化といえば、お願い・嘆願から、自分たちで作ろうという主体性が発揮され始めたのは、明治になってからの特徴であったのではなかろうか。しかし、それは町村制の時代での話であって、昭和28年に因島市になってから、再び「お願い」に戻ったことは記憶しておこう。

だから、この「明治橋」という石碑に「行政へのお願い」が当たり前になっている現代と違い、自分たちで作ろうという庶民の熱気に満ちていた時代の面影を、私は見るのである。

写真・文 柏原林造

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