ふるさとの史跡をたずねて【196】廻国供養塔(因島三庄町円福寺跡)

廻国供養塔(因島三庄町円福寺跡)

因島最高峰の奥山は観音山と呼ばれるだけあって山頂付近には複数の西国三十三観音があり、また南麓には観音寺があり、観音寺の裏山にも別の三十三観音がある。この観音寺三十三観音の場合は1番と33番が観音寺の境内にあり、残りが裏山を回るように配置されている。案内の矢印に従ってお参りすることにしよう。山に入ると2番がある。そこでコースから外れて左へ入る。そこには古いお堂や五輪の塔などがある。円福寺の跡である。お堂の前、一番奥に立つ直方体の石碑が廻国供養塔である=写真

「奉納大乗妙典六十六部日本廻国 天下和融 日月増輝 願主 当邑 行者 幸助 寛政十二庚申十月吉日」

などの文字が読める。基台には

「本願主 久比村 茂四郎 里者 文太郎」

と書かれている。寛政十二年は1800年である。

六部行者は三庄村の幸助で、お金を出したのは茂四郎と文太郎である。久比村で茂四郎から供養塔を立てるための布施をもらったのであろうか。文太郎からも同様であるが、里者が何を表しているのかわからない。

六部行者になって廻国供養をすることも尊いが、その人をサポートしたり、廻国供養塔を建立するお金を出すのも尊いという考え方は、原始仏教のいう布施そのものの考え方である。そう考えて初めて他人の廻国供養塔を建てるのにお金を払う人の気持ちがわかる。

なお、三十三観音と廻国供養塔には直接の関係はない。すなわちここでは、三十三観音の近くに廻国供養塔を建てたとか、あるいはその逆もありえない。しかし、六十六部の廻国供養というのは法華経を六十六カ国の各国一寺へ写経した『法華経』を納経するために廻国したのだし、西国三十三観音霊場は『法華経』の観世音菩薩普門品第二十五による。この第二十五品(今風に書けば第25章)がいわゆる「観音経」である。

我々が日頃目にする『般若心経』は唐の玄奘訳であるが、観自在菩薩と訳されているように33の姿に変化(へんげ)することに因んで、三十三観音霊場なのである。だから両者が近くにあるのは意味のないことではない、と私は思う。
中庄町5基、重井町3基、田熊町1基、三庄町1基、の10基が現在までに分かっている、因島島内に残っている六十六部廻国供養塔である。

写真・文 柏原林造

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