因島空襲 日立因島被災ランクは中

船舶史の研究をつづけている因島田熊町在住の中村公巳さんは、蔵書のなかに因島空襲の実態解明にヒントとなる記述を発見した。

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戦時計画造船と戦時標準船を研究する場合、まずは参考にすると言われている「戦時造船史―太平洋戦争と計画造船」(小野塚一郎著、日本海事振興会)=写真=である。

同書は「戦災経過」という項目で、第二次世界大戦下、日本の有力造船所がどのように空襲を受けたかを記述し、その被害状況をランク表にして纏めている。ランクは5段階。

  1. 戦災程度大=能力の半分以上喪失したもの
  2. 中=半分以下喪失
  3. 小=能力に大きな影響のないもの
  4. 微小=能力に影響のないもの。

日立造船因島は、戦災程度中に分類されている。またこの表は、「造船政策五十年史」(運輸省海上技術安全局造船課)と「船造り一筋」(檜垣俊幸、今治造船)にも引用されている。

同書の著者の小野塚一郎氏は、敗戦当時、海軍技術少佐。昭和23年日立造船入社。出版当時の昭和36年、同社調査部長。後に同社副社長。戦時の日立造船の状況に詳しいと思われる。

ところで、別に記しているように行政・企業は、被害状況をひとランクないしふたランク下げて発表している。ここで「因島市史」だけが、「多くの施設を破壊された」としているが、死者が出たことに一切ふれていない。

明らかに、作為的な情報操作が行われた形跡が見て取れる。空襲の実態調査が進み、すでに行政・企業の虚構は実質的に破綻しているが、今回の新事実の発見で、行政・企業のウソは崩壊したと言えよう。[「空襲の子Ⅱ(37)因島空襲と企業【1】」を参照]。

行政・企業が公表した内容

日立造船 3月19日と7月28日との2回にわたって空襲を受け、数名の死傷者を出したほか、工場の施設に損害を受けたが、ほとんど操業に影響はなかった。「75年史」(昭和31年4月)

因島市 第二次大戦中米軍の爆撃にあい、多くの施設を破壊されたが、鋭意回復、整備、今日に至ったものである。「因島市史」(昭和43年3月)

広島県戦災史 3月19日の空襲=なお当日朝、この空襲(呉空襲)のまきぞえをうけて、日立造船因島工場にもグラマンが飛来し、修繕を終えて出航しつつあった帝立丸が機銃掃射をうけ、工員1人死亡、技師1人が右腕を失うなどの被害があったという。[日立造船関係者談]

7月28日の空襲=3月19日のそれにつづいて因島日立造船所にも米機が来襲している。その一号岸壁に係留されていた陸軍の日寅丸(ヒットラーをもじった命名という)が弾薬庫に被爆して転覆し、他に曳船二隻も沈没したという[日立造船関係者談]。なお社史には「工場の施設に損害も受けたが、ほとんど操業に影響はなかった」と記されている。昭和63年6月。

愛媛新聞が調査活動報道

愛媛新聞(8月26日)は因島空襲の新事実に関する今治市立図書館で調査を行う青木忠氏の紹介記事を掲載している。

4面社会面の写真入りの5段記事。「因島空襲 実態に迫る」「広島の青木さん 今治でも調査開始」「県人犠牲者 情報求める」と大きく伝えている。上島町生名島や松山、今治両市から、有力な情報が寄せられている。

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