空襲の子【23】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 宮地茂・大学局長のこと

宮地茂 宮地茂・元福山大学総長(1914~2005)=写真=は因島土生町出身で、尾道名誉市民、福山名誉市民である。広島大学に在籍していた23歳のときわたしは、中国新聞社の対談企画で印象的な出会いをした。東大・日大をはじめ大学闘争が高揚し、大学問題が政治問題化していた時代である。文部省・大学学術局長の宮地茂氏と全学連書記長のわたしが、東京・赤坂プリンスホテルの一室で対談した。この内容は同紙に2面ぶちぬきで掲載された。


 中国新聞社本社はこの対談企画の趣旨についてあいさつで次のように述べた。

 ―お二人は、それぞれ立場は違うが同じ広島県因島市出身という奇縁を持つ。また宮地氏は青木君の在学している広大の前身、広島文理大の卒業生で、いわば先輩、後輩の間柄。平素のカミシモを脱げば親近感も生まれようというもの。そこで現在の大学問題全般について、ざっくばらんに話し合っていただきたい。

 わたしは当時の新聞を前に執筆しているので、対談の内容はそれを読めば分かる。それ以外は、ホテルの絨毯の色が赤だったこと、宮地氏が「君のお父さんをよく知っている」と語ったことに対して、「そんなこと関係ないでしょ」とわたしが声を荒げたことぐらいしか覚えていない。
 それから20数年たってわたしは因島に帰ってくるのだが、「対談」について地元の方から色々聞くことになった。一番困惑したのは、広島大学入試の際に大学寮の自室を提供してくれた宮地さんという方が、宮地茂さんの甥にあたり、とても困っていたということを聞いたときだった。さらに驚いたことには、茂さんの息子、つまり福山大学の現理事長・総長である宮地尚さんが、東大安田講堂事件で東大入試が中止になり、東大に進学することができず、やむを得ず慶応大学経済学部に進んだことだ。まったく知らなかった。
 胸に棘の刺さったような気分が晴れないままの日々であったが、平成15年9月13日、宮地茂さんとの再会の日が訪れた。福山大学大浜町キャンパスの公開講座の時であった。しり込みするわたしを励まし、口添えしてくれたのは元因島市長の楠見昭二さんだった。
 先生はお年をめされていたが当時の面影は残っていた。「あのときの生意気な態度ごめんなさい」と素直に言えた。「いやいやお互い様だよ」とやさしく声をかけていただいた。そのあと「目指せ!明日の養殖業」と題する先生の講演を聞くことができた。
 わたしが先生にお会いしたのはわずか二回である。新聞紙上での対談後、決してお会いすることはなかった。だから、東京大学の入学試験中止の報道を聞いた時も先生がその決定の最高責任者であることにも気付かなかった。
 安田講堂事件のおよそ3カ月後、4・28沖縄デー事件で負傷、その責任者として、破壊活動防止法・扇動罪などで指名手配受けた。けがが癒えた1年後に検挙され、東条英機などが収監された巣鴨プリズン=東京拘置所(当時は東京池袋にあり、現在は東京小菅に移った。)に拘留された。
 新宿騒乱事件、東大安田講堂などもふくめた学生運動全体の責任を問われるかたちで起訴され、約年にわたる大裁判闘争になった。先生はもういない。悔いが残るのは、わたしの父と同様、因島空襲についてお話をしたかった、ということである。
(続く)

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