ふるさとの史跡をたずねて【173】平和一神碑(因島重井町白滝山)
平和一神碑(因島重井町白滝山)
私の宗教は、葬式仏教としての曹洞宗である。従って座禅はしない。それはさておき、だから他のいかなる宗教にも、文化史的な関心はもっても、信仰心からの関心はもたない。
さて、伝六の普及の功績として大きいのが、道徳の点数化である功過自知録である。これは明(みん)代の中国で生まれた。土着宗教の儒教、外来宗教の仏教、新興宗教の道教などが混ざっている。「陰騭録(いんしつろく)」という本がある。隣の一人暮らしのお婆さんが怪我をしたので毎日食事を運んだら、孫の代になって地方の長官になって金持ちになった、というような話が延々と続く。「積善の家には必ず余慶あり」という。善いことをしたら仙人になれるというような話から来ているのだろう。その積善の具体的処方が功過自知録で、各種できた。我が国では了袁凡(えんのりょうぼん)の「陰騭録」と袾宏(しゅこう)の功過自知録を組み合わせたものの翻訳本がよく売れた。伝六が見たのはそれだった。だから伝六の道徳を儒教的だと思うのは正しくない。論語や孟子のどこにも道徳の点数化は書いていない。
あえて書けば、功過自知録はわかり安いが、不完全な理論だと思う。例えば、殺人(実際入っている)がマイナス百点だとすると、プラス十の善行を10回すれば帳消しになるではないか。すなわち、「してはいけないこと」と「しない方がよいこと」は明確に区別されなければならないと思う。
それにもかかわらず、功過自知録の普及は伝六の活動の中でもわかりやすく、それがあったからこそ白滝山の石仏群ができたと思う。
今では宗教法人として登録されている修養団俸誠会の平和一神和石は全国に何箇所かあるが、ここ白滝山頂のものが最初にできたもので、昭和34年に建てられた。創始者の出居清太郎氏が伝六の話を聞き、観音道一観から「平和一神」(へいわいっかん)と命名されたものである。毎年年祭が行われている。伝六の人格に共鳴されたものだと思う。
昭和27年に重井町へ俸誠会と生長の家が伝わった。伝六の功過自知録の普及活動によって重井村民の道徳性が向上した。その地盤で修養団俸誠会が多いに栄えた。出居総裁を伝六の再来と思った人がいたかどうかは、私は知らないが、伝六の教えと俸誠会活動には通じるものがあるのだろう。それを象徴するものが平和一神和石である。
(写真・文 柏原林造)
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