碁打ち探訪今昔四方山話【48】秀策の兄弟子本因坊秀和(6)名人碁所願う争碁

遊郭に逃げ込んだ秀和
閑話休題 囲碁対局で「打ち掛け」という用語があります。現代のように制限時間がなかった時代ですから勝負が決着するのに何日もかかりました。そこで、続きを翌日に持ち越すことを打ち掛けといいます。


 碁所就位を賭けての大一番ですから両者にとっては死闘といってもいいでしょう。徳川幕府の寺社奉行に争碁を願い出たのは井上家を代表の幻庵因碩八段42歳。名人碁所を引退したばかりの本因坊丈和に次ぐ実力者。挑戦状を受けたのは本因坊家。十三代丈策六段が病臥中という理由で跡目の秀和七段が代って挑戦を受けることになったが、秀和は21歳という若さ。本因坊家入門で神童、天才といわれながら厳しい修行に追われる身。とても幻庵因碩の相手ではないというのが江戸っ子の前評判。あえていえば秀和にあるのは「若さという勢い」に本因坊家一門の期待がかけられた。
小心者の開き直り
 語り伝えられる俗説によれば、この対局が始まる数日前から秀和は連日、遊郭に入りびたり、酒に明け暮れていた。本因坊家や秀和と親しい人たちが諌(いさ)めたところ「自分が因碩先生と争碁を打つなどおこがましいことで、とても勝てる相手ではない。あれこれ考えてもいまさらどうにもならないから開き直っている恰好をしているのだ」と心境を語ったという。
 もっとも、本因坊家の浮沈を賭け一門の期待を一身に背負って対局することになった秀和がそんなことを言ったとは考えられません。しかし、大一番に臨んだ秀和の勝負師としての心中は、これに近いものだったと思われます。
 一方、幻庵因碩は個性の強い持ち主で、その時、その場に応じた機略に富んだ天才的な棋士として注目されていました。これに対し、秀和はむしろ平凡というか自然体で沈着冷静、ねばり強い碁を身上としていました。
血みどろの争碁
 争碁は12月3日、5日目に入り因碩優勢に見えたが格下の秀和にしのがれ逆転模様となってきました。因碩の体調もおかしくなって吐血。この日は、わずか八手しか進んでいなかったが対局は一時休止されています。5日間の中断のあと、12月9日に再開。これが6日目である。白、因碩から打ちつがれたが再び倒れたので10日休んで第7日目の11日は因碩懸命に劣勢を挽回しようと打ち回したが、差は縮まらず第8日目に入った。文字通りの死闘だったと語り伝えられています。
(庚午一生)

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