空襲の子Ⅱ【21】十年間の調査報告 防空壕の今(1)

 あの日、全身を包んだ初めての感覚を決して忘れはしないだろう。
 2010年3月4日、因島の防空壕調査が始まった。岡山市を本社とする山陽新聞はカラー写真を掲載し、次のように報じた。


―今月4日、同市因島土生町のホテル「ナティーク城山」が立つ山にある防空壕跡を現地調査。14カ所あったとされる防空壕の出入り口のうち、コンクリートなどでふさがれずに、倉庫として使われている防空壕跡に入った。2カ所の出入り口でつながり、戦争当時からあったと思われる石やれんが積みの壁などを確認した。
 また私は、本紙連載「因島にて…(51)―つかみかけた確信 時代遺跡の島②」に、そのことを記した。
―中村さんと私は今年の3月、日立造船因島工場の旧事務所近くにつくられた防空壕を見学する機会をえた。二人の新聞記者が同行してくれた。現在はホテル「ナティーク城山」が立つ小山にU字形に掘られたもので、入口はふたつある。レンガによって壁面の強度が保たれ、天井は見上げる高さである。壕に入った途端に、その時代に滑り込んだ錯覚すら覚えた。
 同じ年の11月、韓国の仁川・延坪(ヨンピョン)島では、防空壕が使われていることを知った。北朝鮮の砲撃を受け、住民がそのなかに避難したのだ。アフガニスタンなど戦争のつづく地域では、その施設は日常的に不可欠なものであるに違いない。
 第二次世界大戦時に実際に使われた防空壕が、因島地域において多数残っている。一部は倉庫などに活用されているが、その大半が埋め戻されたり、あるいはそのまま放置されている。それらは何を語りかけているのか。4人のチームが結成された。船舶史を研究する田熊町の中村公巳さん、戦後の因島の変遷を撮りつづけてきた土生町のフォトアドバイザー・田坂浩通さん、せとうちタイムズの青木悦子さん、そして私である。
 専門家からのアドバイスも受けた。毎日新聞大津支局の前本麻有記者から、空襲に備えて設置された防火水槽を調査した大津市教委文化財保護課・青山均さんの記事、そして、その研究論文「戦時中の防火水槽―大津市内に遺存する例から―」が収録された大津市歴史博物館の「研究紀要17」が送られてきた。私は連絡をとり、京都の自宅に青山さんを訪ねた。
 彼の専門は考古学。お会いした時には、大津市埋蔵文化財調査センター主幹として遺跡発掘作業に従事していた。私の「学術的調査のポイントは何でしょうか」との問いに、調査結果を分類することが大切であると説いた。
 さらに各種の資料の提供を受けた。そのなかに思わぬ氏名を発見した。私の三庄中学校一年の時の担任であった金山和民先生である。大津歴史博物館が作成した冊子「戦争と市民~湖国から平和へのメッセージ~」の大津陸軍少年飛行兵学校のページに十一枚の写真を提供していた。
 先生が編集した「続 湖国の青春500日 陸軍生徒14歳の記録」によると、金山(旧姓井上)少年は向島に生まれ、満14歳ちょうどで第18期生として入校。昭和19年4月から昭和20年8月まで過ごした。
 また青山さんを訪ねる過程で、戦跡考古学という研究が進んでいることを知った。考古学の手法を駆使して、明治から第二次世界大戦末期に築かれた、軍需工場、防空壕、飛行場などの戦争遺跡を研究する学問領域である。
 戦争体験者が少なくなるなかで、人間の証言に基づく研究から、遺跡など物による調査・研究に重点が移行しているという。
(青木忠)

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