碁打ち探訪今昔四方山話【45】秀策の兄弟子本因坊秀和(3)跡目とその跡目が継承

連れ戻された俊平
 和三郎は、わが子の才能に期待をかけ江戸の頂点に立つ本因坊丈和の内弟子として預け伊豆に帰ってきました。丈和といえば当時の囲碁界では泣く子もだまる官賜碁所の地位にありました。囲碁の家元四家(本因坊、井上、林、安井)の総元締です。


 碁所(ごどころ)の制度は豊臣秀吉が本因坊算砂に与えたことに始まり、制度として確立したのは徳川家康で、九段の技兩を有する名人でなければなりませんでした。碁所は、天覧碁の組織、将軍の指導、外人との対局の按配、全国棋士の統一、一般にかける囲碁の代表者になって支配し、昇進を検定するため設けられたものだったようです。したがって権威をもち、各家元の子弟といえども碁所の承認がなければ昇進の免状は下賜されませんでした。それ故に碁所の承認を得た免状を所持する棋士は各地の関所を通行する時、免状が通行手形になるという効力を持っていました。
 そんな本因坊家に内弟子として九歳の俊平を預けた父和三郎はことの次第を家の者に話しますと、家族全員に反対され独断を責められました。やむなく和三郎は江戸の本因坊家に逆戻りして事情を説明、俊平を伊豆に連れ帰るというはめになります。その帰途の話です。諦めきれない和三郎は沼津に立ち寄って12歳の少年の万屋(よろずや)某と打たせてみると、四子置碁で完敗した俊平が互先で打ち分けるという結果になりました。
 僅かな期間にこれだけ技量を伸ばした俊平をみて、わが子の資質を確信します。
 駿馬も名伯楽に会って始めて千里の馬となるたとえ「俊平は、やはり見込みがある。丈和先生もそれを認められた。江戸で磨きをかけてもらえば、きっと大成できる」と、和三郎は家族の説得にかかります。俊平にとって、今がチャンスであることを説得、家族も同意して再び江戸に上り、改めて本因坊丈和のもとに入門しました。
閑話休題 ここで、当時の囲碁界について説明しておきましょう。囲碁・将棋を幕府が制度化して奨励したのは家康からで有力な家元に対して”扶持(ふち=武士の給与)”を与えていました。「棋院四家(本因坊、安井、井上、林)」があり、本因坊といえば、今日では実力日本一のプロ棋士の代名詞ですが江戸時代では有力な門流の一つに過ぎません。これらの家系は世襲でなく、門人の中で最も技量のすぐれた者が家元を継承しました。こうした囲碁界の最高峰のタイトルが「名人碁所」でした。碁所になると御城碁の差配をはじめ段位の認定、免状の発行など権限を与えられ収入と名声を得ることができました。

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