空襲の子Ⅱ【16】十年間の調査報告 三庄町の真実(8)

 因島の近現代史における最大の事件とも言える三庄への空襲の悲劇は、なぜか「因島市史」おいて一切ふれられていない。笑止千万と言わざるを得ない。


 しかし他人事では済まされない。編者は私の義理の叔父の青木茂であり、私の実父の松本隆雄も一時、編集委員であったようだ。「市史」は1968年(昭和43)3月31日、発行された。
 編者の経歴と主要著書を紹介している。
―明治31年3月16日、因島市椋浦町に生る。市立尾道短期大学教授を経て、現在神戸学院大学経済学部日本経済史教授。中国新聞社文化功労者、尾道市文化功労者として受賞。
主要著書 尾道市史(上・中・下)3巻。(尾道市役所)道元・盤珪・白穏の療病哲学。近世における富籖の社会経済史的研究(文部省刊行補助費による)(童心書房)その他。43年より尾道市史(5巻)編集。室長。
 その時代を地元で生きた歴史研究者として、三庄の悲劇を認識していないはずはなく、「近現代史は専門外である」との釈明も不可能であろう。
 沈黙したのは因島市だけではない。主要な攻撃対象になった三庄工場の所有者である日立造船も同様であった。当時の力関係からして、市が造船所に「右にならえ」をしたのかもしれない。
 「三庄町に軍需工場さえなければ空襲も受けず、住民も死ななくてすんだ」という明白な事実に、造船側は説明責任を果たそうとはしなかった。「軍人が工場内で死んでも会社とは無関係」「住民の死亡は工場外で起きたことだ」と言わんばかりである。
 ところが、市と造船所と異なる動きが三庄町の内部から巻き起こった。事実を事実として書き記そうとしたのだ。「ふるさと三庄」(1984年5月、三庄老青会連合会)は三庄空襲の事実を公刊書として初めて公表した。
―戦争がし烈になり日本各地が空襲されるようになり、昭和20年(1945)3月、因島工場の全域に第1回の米空軍の爆撃を受け大損害をこうむり、続いて7月、2回の空襲を受けて、多くの被害と死傷者をだした。
 そして年表に、「3月19日と7月28日因島土生三庄工場米軍の爆撃を受く」と示した。松本隆雄は、「昭和19年頃のこと」という三庄空襲の体験談を載せた。
 私の通学した当時の三庄中学校の校長でもあった同連合会の堀利雄会長は、「発刊のことば」で述べている。
―「今のうちに、明治、大正の少年時代からの体験や記憶をまとめ、調べられることは調べてまとめておこう」。
 このことが、いまの若い人や、子供たちに残してやれるよい贈り物となるであろうし、また一方においては、われわれの先輩たちが額に汗を流し、手足を棒にして町づくりのために働いてくれた努力に報いる務めでもある。また一面においては、恵まれた美しい自然と、優しい人情に包まれて育って来たわれわれが、ますますこの町が発展し、平和な郷土として伸びていくことを願うための記録でもある。
 上から見下すような姿勢が目立つ「市史」、企業論理まるだしの日立造船社史と打って変わった論調があふれる住民の手による庶民史誌としての「ふるさと三庄」。
 この書物がどれほど、Uターンしてまもない精神的にも落ち着かない私を励ましてくれただろう。また因島における空襲の調査を始める道標となった。
 三庄町から開始された十年間の空襲調査の営みが、先輩諸氏の努力の継承であれば光栄である。
(青木忠)

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