因島文学散歩【8】百貫島(愛媛県越智郡上島町)

間もなく、船は浄土寺の前を過ぎ、市(まち)を出はずれて、舵を南へ南へととり、向い島を廻って、沖へ出て行った。彼は因の島、百貫島、その位で島の名を知らなかった。然し島は一つ通り越すと又一つと並んでいた。志賀直哉『暗夜行路』(講談社文庫、142頁)

私たちが第3火曜日にやっている会(ふるさとの歴史を学ぶ会@重井公民館)の第2部は史跡散歩という名の遠足である。船で尾道へ渡りロープウェイで早春の千光寺公園に行く計画は、尾道駅の新装開店とのタイミングの良さに喜んでいたが、雨で中止になった。そのリターンマッチを先月行い21人が参加した。初秋にしては汗ばむばかりの残暑であったが、久々のロープウェイには胸が高鳴った。

山頂駅到着直前に、志賀直哉の文学碑が見える。百貫島の燈台が…という例の有名な箇所である。長編小説全体の三分の一より少し前の部分である。

それで志賀直哉が尾道で住んでいたところから百貫島が実際に見えたのだろうか、という疑問は以前第三水曜日にやっている別の会(因島文学散歩の会@因島図書館)でも話題になったことでもあるので、この機会に確かめることにした。志賀直哉の住居跡は記念館になっているのだが、当日は休みだった。しかし家の外から向島の方を見ても百貫島は見えなかった。

その頃から、昼間は向い島の山と山との間にちょっと頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。(同書、133頁)

という具合だから、木々が茂っている現在では見えなくてもよいのかもしれない。

さて、その百貫島は弓削百貫と呼ばれるように弓削島の属島である。小さな島は住所が定まらないように思われるが、こういうふうに、どこかに帰属しているのである。だから、細島が因島の属島中で唯一の有人島というわけである。そういうように百貫島は弓削島に属し、愛媛県になる。したがって県境は広島県側の田島との中間になる。このことは大変重要な問題で広大な燧灘(ひうちなだ)の大半は愛媛県になり、広島県の漁民の漁場は極めて狭い。岡山県でも事情は似たようなもので、この海域で漁業紛争が頻発し、文字通り火花を散らした歴史は長い。

今春、弓削島と美可崎の間に百貫島を入れて、なおかつ河津桜と水仙も写そうとしたら、百貫島は小さくなった。島が浮いているように見える浮島現象は、珍しいことではないが、この機会に掲載する。

(文・写真 因島文学散歩の会・柏原林造)

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