空襲の子Ⅱ【13】十年間の調査報告 三庄町の真実(5)

 つづいてさらに、檀上昌也少年の三庄空襲当日の記憶をたどろう。


―当時の戦闘機は、風防を開いて目視による攻撃だったから、紅いマフラーをなびかせて超低空を飛ぶ敵機の操縦者の顔が上から見下ろすような角度でしっかりと見えた。
 そこへ飛んで来たのは一機だけで、三庄湾の方から土生の方向へ、目の下の天神山と、百盆の池の木々の枝を掠めるようにして飛び去ったのだが、瞬間的ではあったがマフラーの鮮やかな色が強烈な印象として残っている。
 当時の軍国少年の軍艦や飛行機の知識は、専ら少年画報の挿し絵から得たものだから、アメリカのグラマン戦闘機や双発双胴の爆撃機などの最大速度とか巡航速度、航続距離などの機能は大概覚えていたものだった。
 その内に、ボーイングB17爆撃機が現れて、その大きさと成層圏の高々度を飛べる性能を知ったのだったが、我が軍零戦の最大速度は五七〇㎞/時でグラマンより強い、ドイツのメッサーシュミットはイギリスのスピットフアイヤーより速い、など、そういうことに熱中している小国民でも、飛行機を見るのは、遥か上空を飛ぶ姿に限られ、目前にみることなど思いも寄らないことだっただけに、手が届きそうな目の前で本物の飛行機に、驚きだけでなく敵機と云うことなどは忘れてしまうほどの感動まで覚えたものであった。
 軍国教育のまっただ中にあって、神国日本の不敗を信ずる「戦う小国民」にしてみれば、アメリカ兵は臆病で、操縦も下手なものと決めつけていたのだったが、なかなかどうして、超低空の、然も山峡をすれすれに飛ぶには、腕ばかりではなく、勇気がなくては到底出来ないことだった筈である。
 ただその間、我が方からは高射砲はおろか、機関銃の射撃音の一発もなかったし、我が戦闘機が舞い上がった迎撃の勇姿などまるでなかったので、敵はもう無人の野を行くが如く、上空を自由自在に羽ばたいていたのであった。
 地上砲火の危険や、華々しい空中戦があるわけではなく、我が方の制空権の喪失はすっかり見抜かれており、要するに彼等は、安全に飛行することだけに専念すればよかったという、安心しきっての超低空だったのである。
 檀上さんは、「爆撃の置き土産」という見出しで、空襲後のことも記している。
―グラマン来襲の結果、ドックの方はかなりやられたのかも知れないが、軍関係のことは一切が秘密にされていたので、何がどうした被害を受けたものか、本当のことはさっぱり分からなかった。だが、隠そうとしても表れるのが人の噂というものだが、入港中の艦船にかかわる噂を何も聞くことはなかったところをみれば、さほどの被害はなかったもののようであった。
 戦闘機が搭載できるのは小型爆弾に限られているので、爆撃の目標は艦船と工場に絞られていたはずだが、それでも狙いが外れて何発かは町中へ落ちて民家がやられたという話が聞かれたような気がする。
 それよりも、狭い海峡のことだから爆弾は海中に落ちたものの方がよほど多かったようで、魚がいっぱい浮いてきて海辺の人達が喜んで拾ったという話を聞いたが、食糧逼迫の折から、グラマンは飛んだ置き土産をしてくれたものだった。
 その後、子供達の間に、機関砲の薬莢をピカピカに磨き上げたやつを持つことが流行ったが、それはグラマンの機銃掃射の落し物だった。組の中にもそれを持って、授業中も休み時間も、絶えずボロ切れで磨き上げて得意になっている奴が何人かいた。
(引用つづく)

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