ふるさとの史跡をたずねて【145】川口大師堂(因島重井町川口)

川口大師堂(因島重井町川口)

川口大師堂(因島重井町川口)島四国のお堂がすべて大師堂である。しかし、重井町で大師堂といえば、今は島四国84番屋島寺となっている川口の大師堂のことである。重井村の安永三年(1775)村立実録帳には観音堂と大師堂と地蔵堂が記録されている。観音堂は白滝山にあり、「恋し岩」という創作民話のモデルとなった石観音を安置していた。また、「はふく大師堂」とあるのだが、意味不明である。

大師堂の裏には六十六部の廻国供養塔があり、「奉納大乗妙典六十六部日本回国  天下泰平 日月清明 願主 行者了心 十方施主 文政八歳 酉三月吉日 」とある。また「尾道住人 石工 善三郎  伊平」と記されている。

白滝山石仏建造時の寄付録である「文政十年 重井村観音山 五百大羅漢寄進」に「六部了心」の名が重井村壱番組の最後の頁に見えるから、この近くに了心と名乗る人が住んでいたことが推察された。しかし、それ以上のことはわからなかった。ところが、ある家の家譜に、大師堂の尼僧の勧めである女性を娶ったと記されているのを見つけた。このことから行者了心が女性だとわかる。

大師堂のある丘は川口新開一町田と長右衛門新開に接しており、両新開築堤のために山が削られ、そのあとに大師堂が建てられたのだろう。そこに了心が堂守として住み、発心して全国66ヶ寺に法華経の写経を奉納して、結願供養塔を建てた。尾道石工の作った立派なもので、多くの寄進があったと考えられる。

明治近代教育は「邑に不学の戸なく、家に不学の子なからしめん」という有名な明治5年の学制から始まった。その法令によって最初の公立小学校として明治6年4月に重井村善興寺に振徳舎が田熊村浄土寺に研機舎が開校した。それに伴いここ大師堂に信誠舎(分教場)が設立され、明治10年2月まであった。小学校の守本尊は後に金次郎さんになるのだが、ここでは弘法さまだったのだから、学習のの効果は大いにあがったことだろうと思われる。

(写真・文 柏原林造)

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