ふるさとの史跡をたずねて【143】東浜明神社(因島田熊町明治橋)

東浜明神社(因島田熊町明治橋)

西浜明神社の次はやはり東浜明神社ということになる。明治橋の交差点のところの神社である。道路を隔てて南側は島前でその上の図書館のあるところが島前城跡だった。また、少し南は釣島箱崎浦合戦の古戦場である。…こう書くと振り出しに戻ったような気持ちになる。

箱崎浦と同じように、こちらも深い入り江になっていた。あるいは、こちらの方が奥が深かったと思う。どちらも今は陸になってその面影はない。ただ、道路の傾斜が大きくなるところからが元の海岸線だと思えばよい。

田熊側の沖は扇新開で、その奥に古新開があったというから何回かに分けて干拓が行われたのである。従って古い干拓の堤防跡がありそうなものであるが、それを探すのは難しい。堤防といえば海と対峙するのだから、立派なものであったと思いがちである。しかし後に改修されたものばかりで、元の堤防や土手は埋もれてしまっているだろう。ただ、堤防の跡が道路になっているところは多い。

さて、西浜明神社であるが、これは文化13年(1816)に扇新開を中庄村庄屋宮地与三兵衛が扇新開を完成させた時に、田熊の住人によって設置されたものである。厳島神社であるから、干拓地の守護神であるとともに船の守り神であった。農船のみならず海運業・商業に従事する船も次第に増えたから、商売繁盛の神としての位置付けが重くなったことだろう。

ところで厳島神社の祭神は宗像三女神で、その筆頭は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、すなわち弁財天である。田熊町にはここより少し東に弁財天があり、かつては海が近くまで来ていたと言われている。新開の延長に連れて移転はせずそこに残し、新たに厳島神社を勧請し、ともに弁財天、明神社と神仏習合時代の名で呼んで区別しているのであろう。

(写真・文 柏原林造)

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