空襲の子Ⅱ【6】十年間の調査報告 時代の縮図、因島(4)

 一歳半ばでの別離というなかで母子はどのようにして絆を作り上げようとしたのだろうか。ときたま母が私の暮らす実家にもどってきたり、私が椋浦の母のもとを訪ねたようだ。母が実家に里帰りしたときの様子が記されている。

八月十九日
椋浦へ来る 忠が祖父とハト(註、三庄町小用の波止場)のはしに来て、一生懸命帽子を振って呉れてゐる 何にもかも涙でくもってしまった 
私が何時元氣になって 皆んなに報ゆる事が出来るだろう 想ふと淋しいけど仕方がない
元氣な忠と会えてうれしかった いたづらもはげしいけど皆んなに可愛がってもらってゐるからなによりだ 健やかでゐておくれ

 ところで、ここまでは母の視点から見てきたが、生まれて間もない私の側から事態の推移を見たらどうだろうか。空襲被災、母子別居、母の突然の死という非常事態が零歳から五歳の間の私に集中したのである。しかもそれらは、私がなんら抵抗しえぬ、問答無用の災いの連続であった。
 生後十一カ月での空襲について記憶に残ってはいないが、赤子なりに全身でその衝撃を受け止めたに違いない。全力で反発し、生き延びようとしたのだろう。母子の別離に対して猛烈な拒否反応を示し、そしてあきらめ、最後は我慢することに決めたのだろう。
 やっとのことで母との生活を手中にしたというのにその数ヵ月後、そのあたりまえの幸せすら砕け散ってしまった。母の死という突きつけられた既成事実の重みを理解できずに、涙も流さず無言のまま、横たわる母の姿を見つめているだけであった。
 五歳までの悲しみの連鎖を受け入れるしかない当時の幼い私には、ただただ我慢し、耐え忍ぶことしか術がなかった。そして、強い反発心で奮い立ち、それでもって自らを支えぬいたのだろう。この最初の五年間が、必死に生きていこうとする動機付けを与えたのではないだろうか。
 それらの体験が私にとって、戦争体験と言うべきものであろう。今では、零歳からの戦争体験を初めて遭遇した人生上の試練として積極的に捉えなおすことができるようになった。十数年前に、「〈傷つきやすい子ども〉という神話 トラウマを超えて」(ウルズラ・ヌーバー著、岩波書店)に出会った。著者は指摘する。

―トラウマとは、心理学辞典の定義によれば、「全人格を襲う精神的な動揺のことである。それは、身辺に起きた出来事が重荷となってひきおこされる」。

―われわれは以前うけた傷に一生悩むように定められているわけではない。現代の発達心理学によれば、子どもは、一般に思われているよりはるかに能力に富み、抵抗力をもっているのだ。トラウマの体験が、かならずしも長期的にマイナスに働くとはかぎらない。ときには逆に、建設的で創造的な効果をもつ場合もある。それだけではない。人生の最初の何年間だけが、その後の展開のプラスかマイナスを決定するわけではない。

―過去をふり返ることは、問題を探すためではなく、自分の能力を発見したり、以前はどうやって問題を解決したかを知ることに役立つ。苦悩や運命に挑戦されて、巨大な力や能力が呼び覚まされることもあるのだ。

 私にとっては、幼いときの五年間に味わった負の体験が、プラスに作用したように思える。ふしぎなことに私の人生は、逆境とそれを乗り越える闘いの繰り返しであった。そしてそのたびに何かを獲得してきた。何故か逆境であればあるほど闘志が燃え上がった。
(青木忠)

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