空襲の子Ⅱ【5】十年間の調査報告 時代の縮図、因島(3)

 母清子が私を歌ったものがもうひとつある。私の家族は、椋浦小学校のすぐ近くの「校長住宅」に住んだが、そこで病床に臥していた母は聞こえる児童の声に、となりの町で祖父母と暮らす私を想ったのだろう。

―學校の 子らのざわめく 聲きこゆ 馳せる思ひはふる里の 吾子に

 私が母の日記「遺書」を整理したのは、今から十数年前のことである。それ以後何回か目を通したが、今回あらためて熟読した。そのなかに戦争や空襲にふれる言葉はいっさいなかったが、その時代の女の生き様を痛切に感じた。私情を通じて、時代の具体的なありようを知った。
 時代の支配的動向をただ表層的に書きつなぐしかしない、ひからびた「歴史本」にはない、生きた人間の息づかいがひしひしと迫ったきた。また同時に、時間と空間を越えて母と再会できたと思った。
 私は母をほとんど覚えていない。生前の記憶といえば、親の十円玉をくすねて駄菓子を買った私を責めた、怒りの顔だけである。叱られた、ただ一回の想い出である。笑顔がどうしても想い浮かばない。永遠の別離は突然だった。実家の部屋に亡骸となって横たわっていた物言わぬ母の姿。子供たちも全員が無言で枕元に揃っていた。この記憶だけは鮮明である。
 もう母は何も語れない。彼女の残した日記を唯一の手がかりに、母の生きた時代をこの精神と皮膚でつかみとりたいのだ。しばらくの間、昭和23年夏の日記を追ってみることにしよう。

七月十八日 日曜日 晴天曇
私が病氣で心が平静を失ってゐるのかも知れぬ
皆んなに色々とつくしてやり度くても出来ないいらだゝしさ
フッと上せたら氣が狂ってしまいそうな私の頭
海にでも飛び込むかも知れない様な つきつめた 私の心
ぢいっと考えなかったら 落ちつかなかったら ほんとに 私は狂うかも知れぬ
父母の顔 主人の顔 子供達の顔がなかったら 死ぬかもしれぬ
思いつめた時には 何をするかも知れぬ
主人に心配かけてすまなかった
心が騒がない様に氣をつけよう
七月十九日 月曜日 晴天曇 夕方小雨
母なれば 妻なるが故 無理しては び熱つゞきて いと淋しき
七月二十日 火曜日 晴天 俄雨アリ
夕方子供達皆んな元氣で帰へる(註、実家から) 忠が子供達が行くと 椋浦へ帰へりたがって泣くそうだ
会ってみたい あの可愛い顔が見たい 聲が聞きたい けれど あゝして祖父母の 暖かい愛で大きくなってゐるのだから思ふまい アイスケーキを澤山食べる由だが どうかお腹をいためて呉れない様に健やかに大きくなっておくれ 母が元氣になったら 菌が出なくなったら迎へに行くから待ってゐておくれ

八月四日
晝十二時過ぎの船で 昌子(註、長女)と忠来る 
楽しみに待ってゐた忠の帰へり 元氣に
大きくなっている事 ひざにドッシリとこたへる
とてもにぎやかで元氣だ セミ取りが嬉しいらしい

八月五日
眞(註、二男)と忠が二人元氣に仲良く一日遊ぶ
二つねたら おじいちゃんのところへ帰へると言っているが

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