三庄空襲の全体像を証言 学徒動員生の山内勝さん 軍需工場なければの想い

因島空襲の実態を調査している「因島空襲を考える会」は19日、当時13歳で日立造船三庄工場に動員されていた山内勝さんの案内で防空壕跡、機関砲台設置場所跡、幼い姉妹が空襲で亡くなった場所を見学した。

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この日、確認された防空壕は11カ所。山内さんは、それぞれの防空壕には別々の使用目的があったと説明した。従業員用、動員女学生用、住民用、弾薬や資材置き場というように厳しく決められていたという。

軍需工場であった三庄工場の周囲は、空襲を想定し防空壕が次々と掘られたようだ。森神社下の防空壕は因島地域で最大規模と見られている。

さらに山内さんは、三庄工場を囲む小山の3カ所に機関砲台があったと指摘した。防衛省防衛研究所に残る記録によると、ドックに入渠中の陸軍船舶部隊・機動輸送第二十六中隊の艦隊が米戦闘機と交戦した。

無差別攻撃で住民が死亡

こうした事実から、三庄空襲において十数名にも上る住民の犠牲者が何故出たか、その理由が浮かび上がってくる。陸からの日本軍の機関砲の攻撃に米軍が無差別攻撃を敢行したのではないか。

三庄町神田地区と塚が浜の住宅街などに少なくとも5カ所に爆弾が投下されたことが分かっている。

山内さんの母親と妹は防空壕に避難したが、姉は、空襲で半壊した自宅の下敷きになった。この時、身体に受けた打撃がもとで一年半後に病気で亡くなった。

「近くに軍需工場さえなければ死ぬことはなかったという気持ちが住民たちの心に残っていると、言われていますが」という質問に山内さんは「それはあると思うよ」と答えた。

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