ふるさとの史跡をたずねて【122】山口道路改修碑(因島中庄町山口)

山口道路改修碑(因島中庄町山口)

話を中庄町権現の隠島神社に戻すと、ここから発掘された瓦が権現廃寺出土品として昭和39年に因島市の重要文化財になっている。なぜ、隠島神社の出土品と言わないのであろうか。また対岸の、と言っても今は陸続きであるが、熊箇原八幡神社にも隠島神社のことが書いてある。一見両社が我が社こそ従五位下の隠島神社だと争っているような構図だが、明治6年に権現の隠島神社から遷宮されたということであるから、権現の隠島神社は隠島神社跡で、従五位下を授かった隠島神社はこの地にあった、と主張しているものと解しておこう。なお、この地には多くの伝承があり、発掘調査をすれば何か出てきそうな予感がする。

こうして見てみると、いずれの神社も元は海の近くにあったようで、往時の景色は今のサイクリングロードなどと比べものにならないほど壮観であっただろうと思う。

それではどこまでが海だったのだろうかと、考えるとその先は際限がないので、程よいところ、少なくともこの辺は…というところを示しておこう。

山口の三叉路がある。右側を南へ進めば大山峠に至る。左手は奥山行きで、どちらも興味深いのだが、今は干拓の話を進めるので、深入りはしない。島四国井戸寺の二百メートルほど手前と書いておけば、だいたい見当はつくであろう。そこに彰功碑と書かれた道路改修碑がある。大正十年七月に建てられている。その三叉路で北を見ると少し低くなっている。ここまでが、かつて海であったと近くの方に教えていただいた。そこには石灯籠があったが道路拡張のため、少し上(南)に移築されたらしい。近寄ってみると献燈と石に掘られてあった。

三方を山に囲まれており、特にこのあたりの山は深く高い。何年にもわたって少しずつ土砂が堆積されたことだろうから、はるか昔には、もっともっと奥まで海であった可能性がなくはない。しかし、ここを起点にしても、広大な土地が干拓によってできていることがわかる。そして干拓地でも水はその周辺の山から、十分に供給され、人が住むことが可能だっただろう。

(写真・文 柏原林造)

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