ふるさとの史跡をたずねて【119】大疫神社(因重井町砂原)

大疫神社(因重井町砂原)

怪しげな伝説より、新しくても確実な史実の方が貴重だと私は思うのであるが、曖昧でも古ければ良いという世界がこの世には確実に存在する。その一例が、従五位下を授けられた隠島神社は、実は我が社であると主張する神社が中庄町権現の隠島神社以外にもあるということだ。

そのひとつが地元では祇園さんと呼ばれている重井町砂原の大疫神社である。海から離れたところなのに砂原と呼ばれるように、大疫神社のあるところは、かつて馬神城跡のある馬神島であった。また、元は陸続きであったのが音戸の瀬戸のように開削されて島となり、その後埋め立てられ今のようになったという話は聞かない。だから、その島にある神社が隠島神社と呼ばれ、対岸の島の名前が隠島になった、ということはちょっと考えにくい。あるいは隠島(どのように読まれたかはともかく)という島の名前が、その隣の島にある神社の名前になっていたなどということも、考えにくい。だから、大疫神社は隠島神社の候補からはずれる。

ついでだから、なぜ大疫神社を祇園さんと呼ぶのか書いておこう。清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子)の祇園は京都市東山区の八坂神社のあるところである。また有名な祇園祭は八坂神社の夏祭りであるから、答えは八坂神社にある。大疫神社の祭神は須佐男之命、素戔嗚尊(すさのうのみこと)で、その総本社が八坂神社である。ただ、八坂神社という名は明治以降のことで、それまでは祇園社などと呼ばれていた。だから明治より前にできた大疫神社は八坂神社という名とは無縁である。それでは素戔嗚尊と聞きなれない大疫神社との関係はどうであろうか。これは、疫病流行時に行われた御霊会を起源とする祇園祭が10世紀ごろ祇園社の祭礼になったことから、素戔嗚尊や一緒に祭られていた牛頭天王が疫神となったという経緯がある。

これらのことから他の神社でも、疫神、牛頭天王、素戔嗚尊(須佐男之命)を祭っていれば、八坂、祇園などの名が使われていることが理解できるであろう。

(写真・文 柏原林造)

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