碁打ち探訪今昔四方山話【26】安政4年四度目最後の帰郷 中四国行脚と因縁の出会い

貪れば勝を得ず
(先週号につづく)この石谷廣二という人物ですが明治維新で徳川幕府の庇護を失ったあと棋士たちが力を合わせ再興した日本棋院の前身である方円社の初代理事長瀬越憲作名誉九段と同郷、広島市の南にある能見島の出身。瀬越氏によると石谷は文政元年(1736)生まれで秀策より11歳年長。しかし江戸に出て本因坊家に入門したのは秀策より5年おくれて天保13年(1842)。明治9年(1876)五段を免許されたが棋力よりも博打の才に富み賽(さいころ)の目を自分の思いのままに出せるという人物であったと伝えられています。


そういう石谷を秀策は信頼しなかったようで金銭問題でトラブルをおこしていたことが秀策の書簡によって読みとることができます。しかし逆に石谷廣二は秀策の包容性に対してあまえていたといえるふしが数多くあった―と瀬越氏はいう。それ故に石谷は秀策死後になって生前の秀策に対しての尊敬と恩義を感じ半生を秀策の顕彰に捧げたともいえます。
閑話休題 幕末という混迷時代に若気のいたりでバクチに身をやつした大島の水谷縫治と能見島の石谷廣二。囲碁十訣の「貪(むさぼ)れば勝を得ず」の奥義をバクチにあてはめていた時代もあったようです。素人を相手だと「全勝しようとしてはいけない。九勝六敗を目指すといい」そうだ。
八勝七敗を目指すと勝負的に危険だし、勝っても旨みがない。十勝五敗だと勝ち過ぎて目立ってくる。博打の世界では目立っては都合が悪い。九勝六敗くらいがちょうど良いと皮算用。
相手にも勝たせ、トータルで勝ち越せば良いと碁も博打も同じように考えていたようです。一局の碁は最後に1目でも勝てば”勝ち”だからその点では奥義が適応します。いくらプロだといっても強い者同士は互いに読み切れない境地で戦っているはずです。高度な戦いになればなるほど博打的な要素が濃くなってゆくものといえるでしょう。
古い歴史を持つ棋道には勝つための格言や教訓など数多くあります。その代表的なものが囲碁十訣で唐代の詩人であり、高級官僚でもあった王積薪の作とも。別説もあるが日本には奈良時代、平安時代に碁を打つ心構えや戦法を十か条にしたようです。戦後の日本で多く読まれた「孫子の兵法」にも共通するところが多いようです。孫子の基本理念のひとつに”戦わずして勝つ”ということと”勝算なければ戦うなかれ”ともいっています。世間一般の座右銘でもあるわけですが博打哲学に採用されたほどの座右銘でもあったようです。
(庚午一生)

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