因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【20】私と原発(2)

 大手電力会社から電力を購入しない電力の自給自足が理想である。「発電所」を発足させたとき、自分で電力を生産する喜びを知った。そしてその変化が、「3・11」後の「覚悟」の土台となった。「原発に文句があるなら電気を使うな」とは誰にも言わせないぞ。思い切り文句を言ってやるぞ、と思った。


 発電事業者という対等の立場で見れば、大手電力会社の醜態は目に余るものがある。東京電力は言うまでもないが、原発事故が福島県や日本全体を根底から危うくしているにもかかわらず、原発から撤退すると態度を表明する、事業者が1社もでないという有様だ。
 20年も「惰眠をむさぼっていた」私に大きな転機が訪れた。2009年のことである。その年の8月6日に広島市で「平和集会」を開催することを思い立った。この私の試みは1年で終わるのだが、それが原発問題に関心を持つきっかけになった。この準備過程で、山口県の上関原発反対運動をつづけている大学の先輩に出会った。
 6月初旬、その方の案内で初めて原発の工事現場に立ち、原発を体感する機会を得た。そんなチャンスは滅多にはないものだ。その日は確か日曜日で工事はしていなかったが、トランシーバーを持った警備会社の警備員の包囲網下に入った。そんなことなど慣れたもので特に気にすることなく、埋め立て予定地の海岸に下り、無邪気に海水に入って先輩の説明を聞いた。真向かいに上関町祝島が見えた。その日は、船で渡り、宿泊する予定だ。
 ほとんどの住民が原発に反対する祝島はどんな島だろうか、それを全身で感じ取ろうと話しかけ、島内を歩き回った。早朝、波止場に出て漁に出発する漁師たちに「お早うございます」と声をかけると、例外なく「お早う」と声が返ってきた。「良い島だな」と思った。ドキュメンタリー映画「祝の島」撮影中の纐纈あや監督らスタッフと出会ったのもこのときだった。まぶしいばかりの若さと熱気で、短時間ではあったが夢中で語り合った。
 自分の住む島に帰り、自宅のすぐ目の前の海岸に立ち、眼前に広がる島々の風景を眺めたとき、自分の内面にゆっくりとした変化が生まれていることに気付いた。もし自分の住む島の前に原発が建設されようとするなら、私はどうするだろうか、祝島の人たちの道を選ぶだろうか、ふと考えてみた。
 その後、日本の電力のおよそ30パーセントが原子力発電によるものであることを知った。そこまで核エネルギーに依存するようになっていたのか。「それは一種の核武装化とも言えないか」と自問自答してみた。また、太陽光発電開始時に契約した「オール電化と深夜電力割引」制度も原発と一体であることが分かった。
 8月6日の集会の演壇で私は、案内してくれた大学の先輩の前で、上関原発現場と祝島で感じた通りを語った。そしてその集会の受付などで原発に関する書籍を複数買った。だが、事前にプレゼントされていた写真集「中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人たちの記録」は別として、購入した物のページを開くことはなく、3月11日を経て、慌てて読み出すのではあるが。
 探すと、それらは書架にあった。伊方原発関係が二冊。「原発の来た町―原発はこうして建てられた 伊方原発の30年」(斉間満、南海日日新聞社)。「原発の来た町」復刻記念小冊子(斉間淳子、小林圭二)。もう一冊が、「死にいたる虚構―国家による低線量放射線の隠蔽」(ジェイ M.グールド ベンジャミン A.ゴルドマン共著、肥田舜太郎、斉藤紀共訳)。
 それらが何を記しているのかよく知りもしないのに、勧められるまま購入した。それらに目を向けるには2年もの時間を必要とした。
(青木忠)

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