ふるさとの史跡をたずねて【115】大池道路改修碑(因島重井町大池)

大池道路改修碑(因島重井町大池)

因島には中庄町と三庄町に荘園があった。そのことが現在の町名にまで引き継がれている。中庄には重井浦がくっついていたが、後に重井庄となった。どちらの歴史も短かったせいか、浦も庄も現在の町名に残っていない。

青木茂氏の『因島市史』は大変な労作である。労作であってもすべてを信じているわけではないが、重井の重は「しげみ」で、井は「水路、高くそびえる山」だろうと言う説は信じてもよさそうである。その草木の生い茂った重井浦がどのあたりだっただろうか考えてみたい。中庄の荘園の一部だから、中庄側の人が来てそう呼んだに違いない。

土生新開のできる前だからとうぜん峠越えである。馬の背峠を越えて鹿穴に出る。そして土生神社近くの峠を越えて重井の獅子穴へ抜けるのが第一候補。中庄町権現の隠島神社近くに小さなため池がある。そこから北へ登っていくと重井町との境に高圧鉄塔がある。その下を越えると、今はイノシシしか通わないような小さな谷が北へ下る。これが第二候補。長福寺のある寺迫を北へ越えて鹿穴へ出るのが第三候補。

いずれのルートを通っても、重井町の因島運動公園入口付近に出る。少し北へ下ると、福友自動車の前に写真のような道路改修碑がある(右後ろが、しまなみ海道)。このあたりからサイクリング客を苦しめる登り坂が始まる。すなわちかつては、海岸線がこのあたりまで迫っていたことがわかるだろう。今のようなコンクリートの護岸があるわけではなく、山から流れてきた土砂が海との境をなし、時おり海水が流れ込むような雑草に覆われた荒地もあったことだろう。茂み(繁み)の水路だろう。

しまなみ海道を作った時の残土で地上げされているので、その面影はないが、それ以前は周囲より低い田んぼだった。そのために作られたため池が大池で石碑の南、しまなみ海道の高架橋の下にわずかにその痕跡が残っている。ここと島四国一宮寺との間にある友貞という字名は外浦町にもあり、因島村上家文書の三に出てくる名田である。また、一ノ宮というのも、文字通り最初のお宮があったことを示している。島四国ができる以前から一ノ宮であり、そこに明治の終わりごろ島四国一宮寺を配したわけで、やや不自然な遍路道からその苦労が偲ばれる。また、江戸時代末期に作られた重井村四国がここから始まるのにも、このような歴史を考えた配慮が感じられる。

ということで、池之上小田之浦間の道路改修碑が、重井浦・重井庄の発祥の地を示す目印になっている。

(写真・文 柏原林造)

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