因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【18】津波と作家吉村昭

 5月10日の朝日新聞は次の記事を載せた。

―「戦艦武蔵」などで知られ、2006年に死去した作家吉村昭さんが40年前に発表した記録文学「三陸海岸大津波」が東日本大震災以降、増刷を重ねている。三陸海岸を襲った3度の大津波を題材にした作品。妻で芥川賞作家の津村節子さん(82)=東京都三鷹市=は、増刷分の印税を被災地に寄付している。


 また文藝春秋7月号は、「発掘テープ 吉村昭の予言」という文章を11ページにわたって載せている。同誌によると「01年1月23日、三陸国道事務所主催のシンポジウムで、吉村氏は『災害と日本人』というテーマで基調講演を行っていたのだ」という。
 7月のことであるが因島在住の方から、「吉村さんの本を読みましたか」と声をかけられた。読んでいなかった私は、「海の壁―三陸沿岸大津波」(「三陸海岸大津波」の原題、中公新書)をお貸し願い、読んだ。
 この方には以前にも、吉村昭さんの本を読ませていただいたことがある。10年くらい前に、「伊33号潜水艦の悲劇と三庄」という短期連載をしたことがある。その後しばらくして、その事件にふれた文章を書いたところ、吉村昭さんの「総員起シ」(昭和48年、文藝春秋)と「戦史の証言者」(平成7年、文春文庫)をすすめられた。
 「海の壁」は次のような「まえがき」で始まる。

―或る婦人の体験談に、津波に追われながらふとふりむいた時、2階家の屋根の上にそそり立った波がのっと突き出ていたという話があった。深夜のことなので波は黒々としていたが、その頂は歯列をむき出したように水しぶきで白く見えたという。

 私は、その話に触発されて津波を調べはじめた。そして、津波の資料を集め体験談をきいてまわるうちに、一つの地方史として残しておきたい気持ちにもなった。
 「明治29年の津波」、「昭和8年の津波」、「チリ地震津波」の大津波について、創作をはさむことなく、惨事を起きたままに描写している。またこの著作から3年後に、「関東大震災」(文藝春秋)を著している。
 生きていたなら作家・吉村昭は、東日本大震災の大津波をどのように語っただろうか。前掲の講演で次のように述べている。

―津波というものは、地球上にある限り、必ずやってくるものです。とはいいながら、科学の急速な進歩は、これは当然、考えに入れなければならないと思います。

 「海の壁」のチリ地震津波の章では次の記述がある。

―明治29年の大津波以来、昭和8年の大津波、昭和35年のチリ地震津波、昭和43年の十勝沖地震津波を経験した岩手県田野畑村の早野幸太郎氏(87歳)の言葉は、私に印象深いものとして残っている。

 早野氏は、言った。
 「津波は、時世が変ってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で充分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」
 この言葉は、すさまじい幾つかの津波を体験してきた人のものだけに重みがある。
 しかし現実は、吉村さんの科学への期待、早野さんの言葉を冷酷にも裏切った。「科学」は東日本大地震と大津波をまったく予想できなかった。明治以降、三陸海岸を4度目の大津波が襲ったのだ。東日本大震災後に、吉村さんの名著をどのように読むべきなのか、われわれにつきつけられた課題は重く大きい。
(青木忠)

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