ふるさとの史跡をたずねて【114】馬の背峠の塞の神(因島中庄町仁井屋)

馬の背峠の塞の神(因島中庄町仁井屋)

土生新開ができる前の鹿穴(ししあな)と因島中庄町中央部の往来を考えてみよう。いや土生新開ができても片刈山の東端、すなわち因島北認定こども園やゲートボール場のあるところに道ができていなければ同じことである。小舟で通う他は、水軍城のある東西に走る尾根を越えて行っていたに違いない。すなわち峠越えである。

峠越えというのは、こちらと向こうを隔てている高い尾根の最も低いところを通っていくことである。その低いところを「たを(たお)」と呼んだ。そして「たおごえ」が「とうげ」に転化し、「峠」「垰」などの漢字が当てられた。だからこれらの漢字が「たお」と読まれても不思議ではない。しかし、苗字として使われる場合、読みやすく「田尾」などと変わったようだ。

さて鹿穴から南への峠越えを考える場合、島四国の遍路道が考えられる。因島大浜町から大楠山の中腹を越えて着く丸池の熊谷寺からが因島中庄町に属する。次は西進して鹿穴の九番法輪寺である。その次の十番切幡寺は長福寺の境内にあるので、歩き遍路は片刈山と水軍城の間の峠を越える。しかし南側がまだ海であれば同じことで、本格的な峠道にはなり得ない。

そうなるともう少し西の方を考えなければならないだろう。鹿穴の南隅。すなわちこれから越えようとする尾根の北麓を西進してみよう。鹿穴谷を奥へ入るのだから当然登り道になる。しかし、かつての山道が残っており、登りきったところに南側に越える切り通しがある。少しでも峠を低くしようとした名残である。その切り通しには塞の神の祠があった。馬の背峠の塞の神であるから、ここが馬の背峠である。

馬の背峠を越えて南に下っていくと蕎麦はなのところに出た。少し歩いたら大川の向こうに松愛堂とJAがある。東に下ると仁井屋集会所があった。ということで鹿穴と仁井屋との往来が馬の背峠を経て行われていたということだろう。

大川に出ず、若八幡神社、隠島神社、菅原神社と山沿いの小道を通れば古い時代の幹線道路に通じるから、獅子穴、鹿穴、馬の背峠、若八幡神社というコースが重井中庄間の最古道の第一候補と考えてよかろう。

(写真・文 柏原林造)

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