碁打ち探訪今昔四方山話【23】安政4年四度目最後の帰郷 中四国行脚と因縁の出会い

エピソードその二
 本因坊十四代跡目秀策と怪力で名をとどろかせていた尾道済法寺住職竹田物外不遷和尚は讃岐(香川県)丸亀の「金毘羅宮(こんぴらぐう)」をあとにして高松を訪れました。


 高松といえば四国北端の商工業の都市。二人が訪れたころの高松は松平氏12万石の城下町で源平の戦いで古戦場となった屋島や近年では高松藩主松平頼重が築造した栗林(りつりん)公園が観光スポットとなっているようです。
賭け碁の戒め
 琴平宮の門前町と異なって高松は落ち着いた城下町で、町の人たちは江戸の本因坊家跡目秀策を迎えての碁会と指導碁の受け入れ準備もととのい会場は新鮮な雰囲気があふれていました。
 ところが、ピーンと張り詰めた碁会場の中で一人の老人が何故か対局相手もいなく寂しそうな表情をしているのが秀策の目にとまりました。
 不審に思った秀策が、その老人に「なぜ打たないのですか」と尋ねたところ、老人は「つい先日のこと、碁友だちと対局をするにあたり、若しもこの一局に負けた場合は終生碁を打たぬと約束して打ち始めました。ところが負けるはずがないミスで敗着。折角の機会にめぐり会いながら先生の御指導を受けることが出来ないのが残念です」と涙ながらに語るのでした。
 秀策は失意の老人に同情してその相手を招き辞を低うして「このようなことは碁道の発展のためにも大変害をおよぼすことにもなるので是非許してあげてほしい」と、さとし戒めたという。
 息子ほど年齢差がある青年棋士といえども本因坊跡目に頭を下げられては相手方も恐縮のいたり。文句なしで和解へこぎつけた。こうした逸話を残しながら、囲碁の普及と指導に歴遊する間に九月には江戸のお城碁出仕準備のため故郷を出発しなければならなくなります。
 今回の秀策帰郷が因島外浦への最後となるわけですが、秀策の心の中では虫の知らせでもあったかのような行動が多く残っています。生家に残る母子愛用の碁盤と三原公下賜の碁盤の裏面への揮毫や石谷廣策に書き送った囲碁十傑。瀬戸田の谷本兼次郎氏に漢詩を。あげればきりがないが、おいおい記述してゆきます。
 そして次回は、しまなみ海道沿線上の愛媛県今治市大島の天才児水谷縫次少年と秀策の出会いは劇的だったが、秀策の誘いを断った水谷家の悲運が始まるという実話に迫ります。
(庚午一生)

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