ふるさとの史跡をたずねて【109】重井八幡神社(因島重井町伊浜)

重井八幡神社(因島重井町伊浜)

長右衛門家の事業は干拓だけではなかった。寺社の増築維持も庄屋として欠かせない事業であった。重井八幡神社も長右衛門家六代に渡って営々と造営されてきた。棟札に「大旦那 源吉充 永禄十二年九月廿一日」の文字がある。1569年に中庄八幡神社から勧請したもので中庄側の史料の写真が『因島市史』に掲載されている。古くは色々な神が祀られていたのだろうが、八幡神社としてはこの年から始まったと考えてよい。

因島村上氏六代吉充が向島余崎から重井青木に移ったのがこの年であると言われているが、その事を示す文書は見当たらず、棟札は吉充が遅くともこの時までには重井に居た事を示すから、この事から推定されたものかもしれない。ここから起算すると来年は青木城、馬神城、細島茶臼山城が築城450年という事になる。八幡神社としての創建450年という事でもある。

八幡神社は九州宇佐氏の氏神であったが、弓削道鏡事件の頃は御神託を伺うほどの重要な神社に昇格していた。菩薩号も与えられ八幡大菩薩と称された。後に武家の氏神、中でも源氏の氏神となり、岩清水八幡宮、鶴岡八幡宮などが有名である。重井八幡宮は村の氏神ととして勧請されたのであろうが、源氏姓の因島村上氏にとっても、またその子孫と称する長右衛門家にとっても自分たちの氏神でもあった。

重井村上氏は長右衛門家とさらに大元屋(備前屋)、丸本屋の三系統があると理解しているが、それが因島村上氏のどこから分かれたのか釈然としない。宮本常一氏の労作『瀬戸内海の研究1』はその辺の事情を案外うまく説明しているかもしれない。

(写真・文 柏原林造)

 

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