碁打ち探訪今昔四方山話【20】新発見 秀策揮毫の碁盤 三原の殿様下賜の逸品

本因坊秀策の書簡が最も多く所蔵されていたのは尾道市因島外浦町宮谷の秀策生誕の地にある生家である。既に記したように秀策の甥孫に当たる桒原澄次氏が秀策の遺品を守って七男の八千夫氏(石切風切宮司)へと引き継がれた。そして現在、本因坊秀策囲碁記念館に収蔵されている。その書簡は写真左の通り巻物としてあり「本因坊秀策真蹟」で、その巻の祓に桒原寅四郎氏(澄次氏の父)は次のように述べている。

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ここに集めてある書簡は二十三通。叔父秀策より父和(輪三)に贈れる真蹟なり。秀策幼にして頴悟(えいご=賢い)四、五歳にして碁に志し初め三原城司浅野氏に仕え後官賜碁所十四世本因坊秀和の門に入り其業を大成し碁聖と称せらる。幼にして書道を学ぶの暇なく晩年に及び当時の書家竹雪道人に師事し研鑚得る所あり。遺す所の筆蹟其久しうして或は散逸せんことを恐れ茲に装幀し巻となし、竹雪道人の臨本と共に我が家に伝う。

子孫たるもの熟読玩味して修養の資となすべし。

大正壬戊(十一年)晩秋

惜しむらくは、祓文には23通とあるが、現在残されているのは12通しか残っていないのが残念である。しかし、その他のものをあわせると現在29通遺されているが、その中には写本のみ遺っているものもある。また、この書簡を巻物とし、祓文を書いた桒原寅四郎氏は御調(みつき)郡内小学校長を勤務していたがこんなエピソードものこされている。

故藤井秀雄さん(元久保田鉄工常務)といえば因島の出世頭の一人である。その藤井さんから直接聞いた話だが「三庄小学校を四年生で卒業させていただいた桒原校長は私の人生に灯をともした恩人でした」と話しておられた。当時の日本は文明開化期であり義務教育6年を待たずに奉公に出る少年少女も少なくなかった。こんな時代を柔軟に対応した桒原寅四郎校長の人となりが浮んでくるようである。姉の政代さんの嫁ぎ先の因島重井村の庄家、村上八太郎氏から所望されて三原城主浅野甲斐守忠敬より秀策に下賜された碁盤を手放したのもこの時代のことである。(この項つづく)

写真は桒原家に伝わった秀策書簡の巻物。

(庚午一生)

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