因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【8】津波を考える(1)

 被災地から遠く離れて生活している者にとって東日本大震災は、体感できなかった揺れではなくて、映像で実況された大津波としてあった。その映像は、23万人の死者をだした2004年のスマトラ沖地震による大津波を思い起こさせる凄まじいものであった。


 しかし、津波というものを長い人生において一度も経験していない者からすれば、それを自らの問題として理解することは容易なことではない。この間、初歩的ではあるが、可能なかぎりの記事や論文を読み込んできた。どのような切り口から考えていくか四苦八苦していたところ、ある文章に出会った。
 それは、4月30日の中国新聞(共同通信)文化欄に掲載された、「災害の歴史に学べ 高台に住む縄文人の英知」という文章である。筆者は、考古学者の森浩一・同志社大名誉教授である。
―日本は古代から地震や津波などの自然災害が繰り返し起こり、古記録にも関係記事が多い。記録以前や記録の乏しい地域でも、大抵の場所に地震の痕跡が大地に刻まれていることが考古学の発掘によって分かる。最近は地震考古学として発達し、各地の地震の歴史が大地に残された跡から分かるようになってきた。
 森名誉教授は、地震考古学の意義を述べたうえで、「今回の津波を伴う大地震の発生まで、明治三陸大地震のことがテレビや新聞で触れられたことはまれであった」と苦言を呈している。さらに北海道を踏査したとき気付いたとして、次のように述べる。
―現代の海岸集落は海辺の道に沿って形成されている。たしかに日常生活は便利である。
 だが縄文人はそのような土地には住まなかった。海岸を見下ろす段丘や丘陵の上に、大きな縄文集落がある。低地からの比高差は30~40メートルである。ぼくなら二休みしないと歩いて登れないが、ここなら大津波でも被害は出ない。
 つづいて筆者は、1993年の北海道南西沖地震の大津波で、海岸集落が大きな被害を受けた奥尻島に北海道屈指の縄文集落遺跡があることを紹介する。そして次の結論を導き出している。
―縄文人は、生産の場よりは少し離れていて日常生活に多少の不便があっても、生命と財産を守るため高台に住み、海岸は魚、貝、海藻や網の干場として使いわけをしていた。このように縄文人には賢明さがあった。
 最近のぼくは縄文人や弥生人を原始人と呼べなくなった。以上述べたような縄文人の英知に触れたからである。
 5月20日の中国新聞(共同通信)に、東日本大震災で大津波の被害を受けた仙台平野は、約二千年前の弥生時代にも同規模の津波に襲われた、という記事が載った。東北学院大の松本秀明教授(地形学)の研究グループの調査によるものである。
 「仙台平野は平安時代の869(貞観11)年にも大津波に襲われたという古文書の記録が残っており、約千年ごとに大規模な津波で浸水したことになる」「貞観と弥生の津波でも海岸から約3~4キロが浸水したとみられるという」。
 松本教授は、「周期的と言えるかまでは不明だが、東北地方の太平洋側で大規模な津波が千年に1度起きていることは確認できた」とコメントしている。
 三陸沿岸は、明治以来3回も、巨大な津波に襲われていた。1896年(明治29)明治三陸大津波、1933(昭和8)昭和三陸大津波、1960年(昭和35)チリ地震津波。そして50年後の東日本大震災大津波である。

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